使の姉は愛を貫く その6


第八章 こちら側

「……では、本日行われる決勝戦は、エンジェリウム理事長であり天使軍の長である我々が取り仕切りらせて頂きます。偉大なる我らが“主”の御名において、正々堂々恥じぬ戦いを」
「うんうん。二人とも頑張ってねー?まぁ勝っても負けてもここまで来られれば、もう後はバラ色だろうけど」
 やがて、久々に早寝はしてみたけれどあまり寝付けなかったというオチが付いてしまった翌日、決勝戦の舞台になったエンジェリウム中枢校の中央訓練施設では、朝から大勢の生徒が観戦に訪れ、その中心では共同理事長であるミカエル様とガブリエル様が、眼前に並び立つ私達へそれぞれお決まりな挨拶と身もフタも無さ過ぎる激励を向けてきていた。
「あはは、もう二人そろって上級天使になるのは内定してるしねー?」
(上級天使、か……)
 ここでセラフィム・クエストでの採用基準をおさらいしておくと、まず予選の第四回戦まで勝ち抜いた時点で正規採用が決まって下級第三位(エンジェル)となり、続いて本戦第二戦となる第七回戦を突破で中級第三位(パワー)が、更に本戦第六戦(第十一回戦)突破で上級第三位(ソロネ)が内定する区切りとなっていて、あとは勝ち抜いた数や内容面での総合評価を経て上級第一位である熾天使(セラフィム)までの最終的なオファーが決まるのだそう。
 ……とはいえ、実際に熾天使(セラフィム)のオファーを受けられた人は未だいないとして、優勝者には上級第二位(ケルビム)以上が与えられるのは確実なのだとか。
「まーでも、優勝すればその分の箔が付いてその後の扱いもけっこー変わってくるから、気を抜いちゃダメだからね?可愛らしいエリートさんたち」
「エリートさん、ね……ガラじゃないんだけどなぁ……」
 一応、生前にもそんな言葉で評されたコトはあったかもだけど、愛奈ちゃんがこういった言葉にコンプレックスを抱くタイプだったから、私の中では禁句になっていた。
「あはは、なんか堅苦しいよねー?……それに、優奈ちゃんはその程度で終わっても困るし」
 すると、小さく溜息を吐いた私に、リンネちゃんも苦笑いで同意してきたものの、その後で何やら不穏な言葉を続けてきたりして。
「……リンネちゃん?」
「では、そろそろ始めましょうか?」
「あまり前置きが長いと余計に緊張させちゃうし、んじゃ握手でもしてシートについてー?」
「……あ、はい……えっと……勝っても負けても、私はリンネちゃんとはズッ友のつもりだし、恨みっこ無しで頑張ろ?」
「あはは、ありがとー♪……それじゃあ、優奈ちゃん……」
 ともあれ、言葉の意味を質す前にミカエル様たちが開始を告げてきたので、私はとりあえず向き直って想いと共に右手を差し伸べると、リンネちゃんは珍しく感情がありありと分かる嬉しそうな笑みを見せながら両手で握り返した後で……。
「ん?」
「……今日は、あたしもけっこー本気を出すから」
 不意にいつもの穏やかな表情に戻ると、ぽつりとそう告げてきた。
「え……?」

                    *

 やがて、シートへ腰掛けて祈りを捧げ導かれた決勝の舞台は、薄れる夜の空にオレンジ色の日が昇りかけた、夜明け前の廃墟と化した空中都市の上空だった。
「ここは……?」
 あちらこちらに残骸が漂流している瓦礫の山から、おそらく大規模な戦いがあったのは想像に難くないけれど、ここは漂う空気からして今までのステージとは違っている。
「……ここはね、遥か昔に天界へ攻め込んできた魔界の軍勢と史上最も大規模な総力戦が行われた都市跡なんだよ」
 そこで、既に試合は始まっているというのに言葉を失いつつ辺りを見回す私へ、少し離れた位置から対峙する、自分と同じ上級天使の六枚の翼を纏ったリンネちゃんが説明してきた。
「総力戦……」
「天界と魔界は次元を隔てた直接には繋がっていない世界でね、別世界を行き来する為に必要な次元転移技術はこちらの方が進んでいたから、この二つの世界は長らく一方通行状態だったんだけど、いつしか魔界側からも天界へ繋がる道筋を作り上げた者が出てきてねー?」
「それを使って天界侵略を企てた当時の魔王は、こちらへ気取られない様に息を潜めたまま長い時間をかけて秘密裏に侵略の準備を整えて……そして、とうとう魔軍の半数を率いて乗り込んできたの」
「…………」
「こっちも、まさか魔軍がプロテクトを破って天界へ乗り込んでくるなんて全然予測してなかった中で完璧な奇襲を受けてねー、境界付近にいた守備隊はすぐに飲み込まれて、そのまま中枢を目指して進撃してきたんだけど、こちらもすぐに集められる限りの天使軍を終結させ、この地方都市が決戦の舞台になったんだ」
「……結局、みんなの奮戦のお陰で侵攻はここで食い止められたけど、見ての通り都市は壊滅して天使軍は三分の一の犠牲を払い、魔軍も半数が討ち取られて撤退に追い込まれた後で停戦の協定が結ばれた。まぁ、これ以上はやりようがなかったと言うべきなのかもだけど」
「一応、その大戦の話は熾天使様たちから聞いたことはあるけど……それが此処なんだ?」
 もう遥か昔の風景とはいえ、マトモに残っている建物すら見当たらない程の痛ましい戦禍の爪跡は、決戦前というのに呆然とした心地にさせられてしまうものだった。
 奇襲を受けたというのなら、おそらく民間人の犠牲者だって数えきれないくらいに出たはず。
「うん。そうして戦火の火種は一旦消されたんだけど、代わりに今度は新しい競争の局面に入ったの。つまり、天使軍と魔軍のどちらが先に建て直すかっていう」
「それで、当初の損耗率は魔軍の方が遥かに大きかったから、こっちは単純な数の補充よりも、従来とは異なる次世代の天使を考えてみようかって話が立ち上がってねー?それから少し年月はかかった後で誕生したのが、最も神に近い存在である特別な二人の天使……熾天使ルシフェルと、ミツルギこと大天使メタトロン」
「ルシフェルと、御剣……」
「ルシフェルは神の分身の様な存在として生み出され、そして御剣は……」
「死後の人間の魂を使って天使にしてみよう、って?」
「うん、もともと天界生まれとは異質な輝きを持つ人間界のひとの魂は以前から目は付けててね、それで選ばれた最初の御剣も期待通りだったんだけど……それから神の分身がまさかの叛乱を起こしちゃって、これで天使軍は半分近くまで減るし、その時にルシフェルと御剣は刺し違えてしまうしで散々なコトになっちゃったんだよね」
「それで、エンジェリウムの設立とセラフィム・クエストに繋がるんだっけ?」
「んー、まぁそれはそうなんだけど、それだけじゃないっていうか……」
「え……?」
「とにかく、どちらも次世代型天使としての成果は出たから、ルシフェルはともかく御剣プロジェクトの方は続行することになって、次の候補を探していたの」
「それで、私が選ばれた……?」
「うん、そんなとこかなー?ともあれ、ここまで勝ち上がって来てくれて嬉しいよ、優奈ちゃん。あたし、チームを組んだ時からこうならないかなって願ってたんだよ?」
「……リンネちゃんこそ……」
 ともあれ、長話になる前に締めくくられた後で本当に嬉しそうな笑みを向けられ、私もそれは同意ってコトでとりあえず頷くものの……。
「……けど、逆にこうでなきゃ失望だよね?みんなしてここまでお膳立てして来たんだから」
 それからすぐにそう続けてくるや、リンネちゃんの方から対峙しているだけで凍り付きそうな程の只ならぬ気配が漂ってくる。
「…………っっ?!」
「さて、もう準備運動は十分だろうし、本番いっちゃおっか?」
 そこで更に驚く私にそう告げると、リンネちゃんの纏う翼が眩く輝き始め……。
「準備運動って……リンネちゃん、あなた一体……?!しかもその翼は……」
 やがて収まった時には、六枚どころかミカエル様たちと同じ十二枚が折り重なった大きな翼を背に纏っていた。
「あはは、“セラフィム”・クエストのラストバトルらしく、最後は熾天使の翼で戦おうかなって。……はい、優奈ちゃんもどーぞ♪」
「……えっ、あっ、うああああ……っ?!」
 そして、こちらが身構える間もなくリンネちゃんが指を鳴らせると、今度は私の背中も眩くて熱い光の柱に包まれ、やがて生まれ変わった翼から暴れ馬の様な神霊力が湧き上がってくる湧き上がってくる。
「ちょっ、これっ、もしかして……?!」
「あはは、慣らすヒマもあげられなくてゴメンだけど、まぁ何とかなるよね?」
「何とかって……」
 むしろ、もう何なのなんなのさっきから……っ?!
「ほらほら、構えて構えてー。……これは最終“試験”なんだから、気を抜いちゃダメだよ?」
「最終試験て……もう、ホントわけがわから……えっ……?!」
 しかし、肩を竦めてのツッコミも終わらぬうちに、リンネちゃんの翼の先から無数の光線が花火の様に噴出したかと思うと、こちらへ向けて流星の様な勢いで降り注いできた。
(ちょ……っ?!)
 そこで私は咄嗟に前方への盾(シールド)を張って防ぎつつ後退しようとしたものの……。
「…………ッッ?!」

 ガキィィィィッッ

「だから、もう始まってるんだよ……!」
 そこから、一瞬で姿を消したリンネちゃんが天使剣で追い討ちの一撃を上段から振り下ろして来たのに反応して、何とかこちらも抜いた剣で受け止めてみせる私。
 ジョゼッタさんとの戦いの経験で反応できたけど、この速さはそれをも上回ってる……?
「ぐ……それは分かってたけど……ッッ」
 しかし、いきなり真っ二つにされるのを防いでひと安心しかけたのも束の間、リンネちゃんはそのまま刀身に圧力を込めて凄まじいチカラで剣もろとも押し潰そうとしてくる。
「ちょ……っ、今日は随分と強引に攻めてくるじゃない……!」
 今まで模擬戦で手合わせした時を思い出しても、大抵は私に攻めさせてばっかりで、リンネちゃんが自分からここまで積極的に攻撃してきたのは記憶に無い。
「……ほら優奈ちゃん、ここからどう持ち直すのかなー?」
「なるほど……本気を出す、ね。だけど……ッッ!」
 それでも、私とて何度も同じ轍を踏む気はない。
 私はこのまま真っ向から受けて立ち、鍔迫り合いのまま翼に力を込めて押し返していった。
「おお……っ、やるね優奈ちゃん……!」
「だって、考えてみたら互角のハズだし……!」
 いきなり派手な先制攻撃を受けて焦ったものの、二人が纏っているのは同じ翼なのだから、秘められている出力に差は無いはず。
「互角かぁ……そだね。んじゃ、どこまでついて来られるか試してみよっか?」
「わ……っ?!とっと……!」
 すると、リンネちゃんはそんな私に思わせぶりな微笑を浮かべたかと思うと、力比べをしていた相手の姿が再び眼前から掻き消え、行き場の無くなった反発力が勢い余ってバランスを崩されてしまう。
(しまった、マズったかも……っ)
「さぁて、いっくよー?」
 ちょっと馬鹿正直に対抗しすぎたと後悔したものの時既に遅しで、背後へ回りこんできた相手からの神術の応酬が私に牙を剥いて来ようとしていた。
「えっと……地震はイミ無いから、最初は雷ー!」
 そして、こちらが態勢を立て直す前に、まずはリンネちゃんが一番得意としていた攻撃の掛け声と共に、轟音を響かせつつ夥しい数の雷撃が空の上から乱舞してくる。
「く……っ?!」
 とりあえず、相手の「雷」の叫びに反応して即座に飛び出せたお陰でいきなりの直撃は避けられたものの、それから時間差で休み無く追いかけられてゆく私。
「…………っ」
 しかも、単に追跡してくるだけでなく、時には先読みで前方にも落とされて、これじゃ反撃の隙を伺うどころか、いつまで避け続けられるのかも怪しいものだけど……。
(避けてるだけじゃダメ……えっと、雷対策は……)
 ……やっぱり、アレ?
 そして躊躇のヒマは無しで、私はそいつのイメージを手に持った天使剣と重ねると、速度を落とさない様に意識を分散しつつ祈りを込め始めてゆく。
(ホントに上手くいけばいいんだけど……って……?!)
 しかし考える間もなく、やがて私のすぐ頭上の空に大きな稲光が発生して……。
「ここからが本番だよ……神罰の鉄槌……っ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ?!」
 今度こそ避けきれない速度と規模の特大な雷撃が降り落とされ、私は咄嗟に天使剣を投げつつも思わず目を逸らせながら悲鳴を上げてしまう。
「…………ッッ、……って……?」
 ……しかし、それでも覚悟した落雷の衝撃が届かなかったのに気付いた私が顔を上げると、頭上では投げつけた導雷針代わりの天使剣が浮いているだけだった。
(……うわ、ホントに凌いだんだ……それに……?)
「はー、すごいね……天使剣で受け止めるなんて……」
 しかも、その受け止めた刀身が、まるで雷の神術が付加されたみたいにバチバチと閃光を帯びていたのを見た私は、思い切って飛び出しつつ柄に手をやり……。
「お返しよ……!」
 そのまま振りかぶって相手に向けて振り下ろすと、受け止めた雷撃がそのまま反撃の一撃としてリンネちゃんへ襲いかかっていった。
「あは、神罰をこちらへ向けてくるなんて……まぁ、“こっち”側はそうでないとねー?」
「……また、イミ分からないコト言ってくるし……」
 しかし、そんなしてやったりなカウンターの一撃も、リンネちゃんは片手を掲げた障壁であっさりと散らせてしまうと……。
「それじゃ、次はこーいうのはどうかな?」
 続けざま、リンネちゃんの右手の先が紅く輝くや、今度は渦巻いた紅蓮の炎が津波のようにこちらを飲み込まんと襲い掛かってきた。
「ちょっ……?!」
 雷に続いて、今度は火事だから、ええと……火に対抗するには……水?
 ……いやいや、強風に乗った炎の規模が大きすぎて、とてもそんなんじゃ……。
(……ん、風……?)
 しかし、そこで咄嗟に防ぐ方法を思いついた私は、炎の津波を防ぐ障壁をイメージして発動させつつ、わざと敢えて飲み込まれそうなフリをしてみることに。
「く……っ、防ぎきれない……?!」
 というか、実際にその勢いと熱量に気圧されそうにはなるものの、ここは辛抱どころ。
(……今度こそ、きっちり反撃しないと……!)
 やがて、私はリンネちゃんからは飲み込まれた様に見せかけつつも前方に生じさせた透明の壁で炎を防ぎ止め、残った神霊力を翼の飛行能力に込めていき……。
(今だ……!)
 業炎が完全に通過しかける直前のタイミングを狙って突っ切ると、私は込めたチカラを一気に解放して、相手の利き手じゃない方の斜め上から背後へと神速移動で回り込んでゆく。
「おお、防いじゃったんだ……?!」
「……はぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッッ!」
 果たして自覚しているのかは分からないけれど、風と炎の組み合わせはどちらも一度に防げる方法があるだけに、これは間違いなくリンネちゃんのミスである。
 ……だったら、この機会を生かせなきゃ、こっちの負けっ。
「ごめん……っ!」
 そして、一気呵成で背後を取るや、言葉とは裏腹にジョゼッタさんから学んだ剣技で振り向きざまに容赦ない一撃をなぎ払ったものの……。
「……なるほど、真空の断層で作った障壁で防いだんだー?種明かしをしてしまえば単純だけど、よく咄嗟に思いついて反応できたね?」
 しかし、切っ先が触れようとした直前にリンネちゃんの身体は再び霧散して、今度はこちらの背後の少し高みから見下ろしつつ無邪気に感心してくる。
(ちょっ、そのワープ技ずるくない……?!)
 ……いや違う、先に反応されちゃったんだ。
「ま、それでも優奈ちゃんだったら、このくらいはデキると思ってたからねー?」
「それは、どーもありがとう……」
 困ったことに、リンネちゃんの私に対する評価の高さが、この戦いでは悪い方向へ作用しているみたいである。
 ……私の方は、未だ勝てる気が全くしていないというのに。
「ほら、それじゃ次は優奈ちゃんから攻めてきていいよ?おいでー」
「……はいはい、それはご親切に痛み入りますってね……」
 しかも、こんな余裕まで見せてくる辺り、やっぱり私の事は見下ろしてきているんだろうけれど。
 と、まさかここでジョゼッタさんの気持ちを味わう羽目になるとは、として。
 普通に防がれてしまう程度の攻撃は論外として、リンネちゃんの想定を上回らないとさっきみたく残像を残して回避されてしまうから……。
(……狙うとしたら、リンネちゃんからのカウンター攻撃のカウンター返し、かな?)
 それも、インファイトで。
「……あはは、そろそろ攻め方は決まったー?」
「ええ……行きます……!!」
 その後、私は相打ちも辞さない覚悟を決めると、翼にチカラを込めて天使銃を手に飛び出し、まずはリンネちゃんの周囲を囲みつつ曖昧なエイムで乱射してゆく。
「……なるほど、そう来るんだー?」
 すると、こちらの仕掛けを予測していたかは知らないとして、リンネちゃんは涼しい顔を崩さず最小限の動きで弾道を予測して避けてゆくものの、私の方はもちろん想定のうちで、狙っているのは……。
「おっ……と……」
(今だ……!)
 ……そう、それでも無闇な乱射を続ける中で偶然でも避け損なって受け止めたこの時。
 私はリンネちゃんがガードの構えを見せた瞬間を狙い、わざとほんの半テンポだけ遅らせて天使剣に持ち替えて斬りかかって行った。
(さて、反応してくれるかな……?)
 この半テンポの遅れは、すなわち受けさせるより反撃の呼び水のつもりだったんだけど……。
「…………ッッ」
 しかし、カウンターの神術を期待していたのも虚しく、リンネちゃんが咄嗟に抜いた天使剣で普通に受け止められてしまう。
(不発……。けど……っ!)
 それでも、まだこちらの攻撃は始まったばかり。
 私は手を止めることなく、ぴったりと間合いに張り付いて連撃を休み無く繰り出し、またどこかでテンポを崩してワザと隙を……。
「…………」
 すると、リンネちゃんはそれを無言で受け止め続けていたものの……。
「……なに、その目……?」
「……うーん、あんまり面白くはないかな?こういうのは」
 珍しく、何やらあからさまに退屈そうな視線を向けられたのが気になって訊ねると、戦闘中だというのに溜息混じりで不服を告げられてしまう。
「そりゃ、私だって得意な方じゃないけどね……!」
 でも、とりあえず他に妙案が思いつかなかったんだから、仕方がない。
 それに、不安定でリスクが高い中でこそ想定外が起こり易くなって、それが勝機に……。
「……やめた」
 しかし、そんな企みを込めて鍔迫り合いになったところで、リンネちゃんは不意に短く呟いてきたかと思うと……。
「え……?ふわ……ッッ?!」
 次の瞬間、私は不意に羽ばたかせたリンネちゃんの翼から発生した衝撃波を正面から受けて弾き飛ばされてしまった。
「……だめだめだねー。あたしが見たかったのは、こんな小細工なんかじゃないのに」
 その後、慌てて態勢を整えようとする私へ、追い討ちではなく肩を竦めて露骨にガッカリといった態度でダメ出しをしてくるリンネちゃん。
「いや、そう言われても……」
 ……これでも、必死で考えながら戦っているんですけどね。
 やっぱり、まだ勝てそうなビジョンは見えていないけど。
「まだ、全然本気になれてもいない感じだし……ちょっと趣向を変えてみよっか?」
「わ、私はいつだって本気……」
「違うんだよ。優奈ちゃん自身はそのつもりでも、まだ全然引き出せていない……」
「ああもうっ、いい加減にしてよ!いつまでそうやってワケの分からないコトばかり……!」
 それから、またも私を置いてけぼりにして勝手なコトを言ってくるリンネちゃんに、とうとう銃を構えつつ声を荒らげてしまうものの……。
「……んじゃ、こうする。もしあたしに勝てたら願いを一つ叶えてあげるよ、優奈ちゃん?」
「ね、願いって……?」
 回答の代わりに続けられた思いもよらない申し出を受けて、その場でピタリと止まってしまう。
「優奈ちゃんって、守護天使になりたいんだよね?……しかも、さる特定の人物の」
「……っ?!どうして、それを……?!」
 守護天使になりたいのはともかく、相手のコトまでは言ってなかったはず……。
「もしも、あたしに勝てたら叶えてあげるよって言ったら、どうする?」
「そ、そんな……まさか……」
 俄かには信じがたいものの、リンネちゃんってノリは軽くても口から出任せを言ってくるコじゃないし、こんな状況で根拠もナシでわざわざ申し出てくるとも思えない。
 というか、これは明らかに……取引だ。
「……えっと、本当に?」
「何だかんだで、天使軍の規則も都合のいい部分はあるからねー。……それとも、ここで友達の言葉を笑い飛ばして六十億分の一の確率の方に賭けてみる?」
「…………っ!」
 そして、畳み掛けられた言葉を聞いて、私の中の何処かのスイッチが入った感覚が走る。
 ……そう、奇跡を信じると言ったところで、現実の確率は……。
「……さぁ、叶えたいなら見せてよ?優奈ちゃんに秘められたほんとのチカラ……でないと、もう終わらせちゃうから」
 それから、リンネちゃんはそう通告するや、目が眩んでしまいそうな程の白銀色の輝きを全身から放ちつつ、まるで溜め込んでいた全てを解放したかの様な神々しい気配を放ってくる。
「リンネ、ちゃん……?」
「さ、こんな感じだけど、優奈ちゃんも出来るよね?……ほら、どうして天使になろうと思ったのか、神との取引に応じたのか……思い出してみて」
「…………っ」
 私が神との取引に応じた理由は……。
『……ついでに、天使なんて呼ばれるのも気恥ずかしくて勘弁して欲しいんだけどなぁ……』
『え〜、おねぇちゃんのイメージにピッタリでわたしは好きだけどね?妹としても鼻が高いし』
『あはは、だったら今日からお姉ちゃんは愛奈ちゃんの守護天使になっちゃいましょうか』
『おおー……それで、いつまでわたしに付いてくれるの?守護天使さん』
「…………」
(もちろん、愛奈ちゃんさえ望むなら、いつまでも……!)
「…………ッッ?!」
 そこで、おそらく今もひとりで寂しがっているだろう愛奈ちゃんの笑みが思い浮かんだ途端、忘れかけていた大粒の涙が溢れると共に、全身からリンネちゃんに負けていないチカラの奔流が駆け巡ってきた。
「おー、いいじゃない?やっとその気になったね、優奈ちゃん?」
「……友達相手だし、ホントでしょーね?なんて野暮は言わない。その話に乗りましょう」
「あは、そうこなくっちゃ。……んじゃ、最後の勝負はシンプルに力比べでいこっか?」
 それから、沸き立つ全身とは裏腹に静かな言葉で受けて立った私へリンネちゃんは嬉しそうに頷くと、差し出した手の先に尋常じゃない神霊力が巨大な渦となって集まり、やがて彼女の周囲どころか戦場全体がビリビリと震えてくる。
 ……それは、もしかしたら世界ごと崩壊させてしまいかねないチカラの卷曲。
「…………っっ」
 これを、私に受け止めてみせろ、と……。
「さぁ、みんなの前で顕現して見せてよ。……新たな神の右腕の誕生をね」
「へ……?」
「偉大なる祝福に光あれ……テスタメント……!」
 そして、今にも暴発してしまいそうな程に蓄積された神霊力の塊は巨大な光り輝く奔流となり、私へ向けて一飲みに襲い掛かってきた。
「なんのぉぉぉぉぉぉぉぉ……ッッ」
 それでも、自分が何をすべきか分かっている私は、正面から受け止め……。
(……って、ホントに受け止められてる……?!)
 見た目通りに、マトモに受ければ一瞬で消し飛ばされそうな程のチカラの塊が私を押し潰そうと圧をかけてきているものの、確かにこの場へ踏み留まれていた。
(ええっと……つまり、これって愛のチカラってやつ……?)
「……ふ……っ」
 ……ほらね、だから天使は愛に溢れてる方が強いんだって……!
(待ってて、愛奈ちゃん。おねぇちゃん、必ず貴女の守護天使になって帰ってくるから……!)
 その時は、もうすぐ目の前に来ている。
 ……ならば、たとえ相手が誰であろうと……。
「〜〜〜〜っっ」
 そこで、わたしはリンネちゃんの光の束を受け止めつつ、一度大きく深呼吸して……。
「負けるワケがない……ッッ!!」
「……おお……っ?!」
 全力の言霊を込めた叫びと共に両手を突き出し、自分も相手と同じ攻撃の形をイメージして反攻へ移ると、交じり合ったチカラの奔流は最初は目の前で激しくせめぎ合っていたものの、やがて流れは次第に反転していき……。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
 気迫一閃で最後のひと押しを込めた後に、とうとう突き破ったこちらの光の束がその先に立つリンネちゃんを飲み込んでいった。
「…………」
「…………」
「はぁ、はぁ……」
 やがて光はゆっくりと収束し、まるで何事も無かったの様に静けさが戻ってゆくと……。
「……うん。ごうかく……だね……」
 暫く無言で互いに向かい合った後に、リンネちゃんの方から微笑を浮かべてそれだけ告げるや、魂が抜けた様に項垂れて動かなくなってしまった。
「リンネ、ちゃん……」
 えっと、それで私の願いは?ってのもあるけど、ホントに何者なんだろう?
 いや、薄々気付いてはきているんだけど……。
「……って、その前に回収回収……っ!」
 ともあれ、考察に浸りかけたところで、慌ててそれよりも大事なコトを思い出しリンネちゃんの倒れた場所へ飛び寄る私。
 ……危うく、敬愛するお師匠様に合わせる顔が二度と無くなってしまうところだった。

                    *

「……しっかし、ホントに最短で戻ってきやがったわね、あんた」
 やがて、何だかこの一ヶ月で十年分くらいは一気に成長した気もするセラフィム・クエストは終了してエンジェリウムの卒業式も執り行なわれ、いよいよ正式な翼を授かる日を迎えた私が久しぶりのエデンの塔を訪れると、入り口では既に懐かしさを感じる妖精に似た小さな姿が出迎えてきた。
「一応、勝てちゃいましたから。……それに、エンジェリウムに長居する気も起きなかったし」
 まぁ、あそこで得られた大切な親友の一人が、悩んだ末に結局自分を見つめ直してもう一度挑戦すると決めたみたいだから、心残りはそのくらいだろうか。
 ちなみに、リンネちゃんはセラフィム・クエスト終了後に卒業式を待たずして姿を消してしまったものの、約束はちゃんと果たすからという書き置きを残していたので、いずれまた私の前に姿を見せてくれるだろうし。
「それは何よりだわ。何せこれからあんたに渡す翼は、もう長いコト纏う者を失っていたから」
「……ってコトは、やっぱり特別なものなんです?」
 はっきりとは覚えていないものの、ミツルギだとかこっち側だとか戦う前に気になる単語を色々並べられていた気はするけど。
「だから、今日の戴翼式はあんた一人だけなんじゃない。ふつーは階級ごとにひと纏めよ?」
「なるほど、それはどーもです」
 まぁ一応は優勝者なんだから、今は特別扱いも居心地が悪いわけじゃないんだけど、ね。

「……あれ、ミカエル様は?」
「いねーわよ?というか、今日あんたに翼を授けるのはあのコじゃないし」
 ともあれ、それからはじまりの翼を受け取った大聖堂へ着いたところで、祝福に待ってくれていると思っていた師匠の姿が無いのに気付いて訊ねると、エルから意外な言葉が返ってくる。
「あれ?だって天使の翼を授けるのは……」
「……なぜならば、お前さんは“こっち”側だからだわさ」
 そして、背後から聞き覚えのある印象的な言い回しの回答を投げかけられたのに反応して振り返ると、そこにはいつの間にやら七人の天使が揃い踏みしていた。
 ……彼女達は確か、このエデンの塔を護る七大天使、だっけ。
「こっち側……ここまで来る間に何度か聞いた言葉だけど、やっと教えてもらえるの?」
「うむ。つまり、これからお前さんが受け取るのは、天界評議会及び熾天使の支配下ではなく、我らと同じ“主”に直接お仕えする天使の翼じゃ」
「……とあらば、その唯一無二な翼をお授けになられるはミカエルなどではなく……」
「この“あたし”ってコトだねー?あはは」
「へ……?」
 それから、七大天使様達が口々に告げる最後に馴染みの深い声が割り込んできたので振り返ると、さっきまでエルが居た場所には行方不明のリンネちゃんの姿が。
「あー……なるほど、やっぱりそういうコト……」
「へー、大げさに驚かないってコトは、途中で気付いてたんだ?やっぱ優奈ちゃんって結構……」
「だから、腹黒キャラにするのはやめてってば……というか、気付いてたんじゃなくて、驚くよりも大体の謎が解けた気分になったというか……」
 ずっとリンネちゃんからはよく分からない無敵っぽさを覚えていたし、あのラストバトルなんてミカエル様たちも見ている前であんな好き勝手出来るのは天界でもただ一人(?)だけだろうから。
「なるほどー、あたしの方はすぐバレないかとヒヤヒヤしてたんだけどね?」
「それはいくらなんでも買いかぶりすぎ。……でも、一人前の天使になるまで帰ってくるなと突き放された割にはいささか過保護じゃない?」
「あー、そこは別にあんただけの為じゃなくて、実は毎年ああやって候補生の一人に紛れ込んでいるのだわさ。こっち側に使えそうな人材探しや、逆に叛逆思想を持つ者が再び出てこないかを視察する為に」
 そして、「もちろん姿かたちは毎年変化してるだわさが」と補足してくるザフキエル様。
「……でも、その割には私に付きっきりだった様な?」
「あはは、優奈ちゃんみたいな逸材はそうそういるもんじゃないしねー?いつもはセラフィム・クエストに参加して大会荒らしみたいなコトもしないし」
「逸材、ね……」
 今になって冷静に振り返れば、体よく餌に釣られただけな気もしないでもないけれど。
「ホントに優勝しちゃったんだから自信は付いたでしょ?ほらほら、優奈ちゃんにとびきりの翼をあげるから、あたしの前で膝をついてくれる?」
 ともあれ、リンネちゃんの方はもうこの話は終わりとばかりに強引に締めくくると、祭壇の前に立って早くこっちゃおいでと手招きで促してくる。
「えっと待ってその前に……。あの約束は果たして貰えるんだよね?」
「もっちろん、好きな相手の守護天使になる件でしょ?ちゃんと覚えてるよー?」
 そこで、祭壇前へ向かう間に一つ念押しする私へ、リンネちゃんはあっさり頷いたものの……。
「けど、これからすぐってわけにはいかないから、そこは了承してくれるかな?」
「あ、それずるい……!」
 続けて嫌な予感しかしてこない追加の言葉に、即座に抗議する私。
「んー、ずるいって言われてもしょうがないんだよね。これから”御剣”になる優奈ちゃんにはまずお役目をしっかり覚えてもらわなきゃならないし。どーせ、守護天使を始めたら当分は人間界に入り浸っちゃうんでしょ?」
「それはまぁ、そうかもしれないけど……」
 たぶん、愛奈ちゃんがお婆ちゃんになって召される時まで戻らないかもしれないとして。
「そもそも、これから贈られる翼はルシフェルの叛乱以降に空座となっていたもの。本来は守護天使の希望など受理し難いのだが、それがお前さんの条件であるならば止むを得ずとなった故に、開始時期はこちらの都合に合わせて貰いたいのじゃよ」
「ん〜というか、一体これから私にどんなお仕事をさせようってつもりなんです?」
 何やらちょっと、イヤな予感がしてこなくも無いんだけど……。
「まぁまぁ、身構えなくてもあたしは悪い様にするつもりはないから、信じて受け取ってくれる?守護天使になるのも、五年も十年も先とは言わないし」
「……まぁいいでしょう。リンネちゃんも私の好きなひとランキングの上位に入ってたのに免じて」
 エンジェリウムでは私にとって相方みたいな存在だったから、ここは信じるとしますか。
「あはは、優奈ちゃんだけは今はそれで我慢してあげるから」
「はいはい……」

                    *

 ……そうして、私はこの御剣(みつるぎ)こと“メタトロンの翼”を受け取った。
「……ま、こんなトコロですかねー……」
 それから、回想を全て終えた後で私は自分の記憶を映したスクリーンを閉じると、再び星空へ無数のロケーション映像を散りばめてゆく。
「は〜〜……」
 神の片腕の証であるこの二十四枚に連なる翼と、三十六万を超える不可視の「眼」を与えられた私の主な役割は、エデンの塔からこうして天界や人間界のあらゆる箇所を監視すること。
 ……それで、一応はささやかな役得として眼の一つを生前の実家へ飛ばして、こうして最愛の妹をのぞ見守るコトが出来るようになったものの、スクリーン越しに愛奈ちゃんの寂しそうな表情を見せられていると、ますます今すぐに飛んで行きたい想いが募らされたりして……。
「……結局、お前さんのその溜息の理由は、愛を忘れさせられた天使達への嘆きと、いつ約束は履行されるのかという不満からだわさ?」
「分かって貰えて嬉しいわ。……で、それについて何か情報はないの?」
「ふむ、それなんだわさが……まずはお前さんに初仕事だわさ」
 そこで、ようやく自分の鬱屈を理解してもらったところで改めて訊ねる私に、ザフキエルは期待していたものとはおおよそ遠い返事を突き付けてきた。
「初仕事?監視者としてはそれなりに仕事してるつもりだけど?」
 まぁ、半分くらいは愛奈ちゃんを眺めているだけかもしれないとしても。
「……いや、仕事というのはもう一つの“断罪者”の方だわさ」
「断罪者……極刑を与えるべき者が出たということ?でも……」
 確かに、監視者と併せて“主”に代わり神罰を下すのも役目の一つなのは承知の上だけど、それでも内部粛清に関しては熾天使(セラフィム)に直属する専門の部署があるので、基本的に御剣は抑止力としての存在なはず。
「つまり、お前さん(メタトロン)でなければ務まらないケースというコトだわさ。初仕事にしてはいささか重たい任務となってしまうのは、察するものはあるのだわさが……」
「……誰よ?そんな相手って……」
 ともあれ、勿体ぶってないではっきり言いなさいとばかりに尋ねる私へ、“主”の参謀長は少しの間の沈黙を挟んだ後で……。
「……御剣優奈よ、“主”の御名において熾天使ミカエルを討て、だわさ」
「は……?」
 改めて最も想定していなかったターゲットの名を告げられ、私はその場に固まってしまった。

次のページへ 前のページへ 戻る