天使の姉は愛を貫く その7
第九章 ルシフェル・チルドレン
「…………」 エデンの塔への侵入者を拒む強い乱気流を浴びながら、私は心ここにあらずといった境地で深夜の中枢都市郊外にある居住区へ向け、敢えて低速で降下していた。 もちろん、今更そんな強風の影響で思う様に飛べないわけじゃなくて、まだ心の整理に少しばかり時間を要すると思ったからである。 「…………」 いや、仮に一晩貰ったとしても心の整理なんて付くわけがない。 今はただ、どうしてこんなコトになってしまったのか、ただただ混乱させられているだけで。 「…………っっ」 * 「……ミカエル様を討てって、一体どういうコト?」 「“様”は不要だわさ。単刀直入に言えば、彼女には叛逆の容疑がかかっているのだわさ」 与えられた任務には余計な疑問を挟まず粛々と遂行しなさい、は師からも教わった天使の基礎的な心構えで、当然それは神の右腕たる御剣も例外ではないものの、それでも理由を求めずにはいられない私へ、ザフキエルは淡々とそう告げてくる。 「まさか……だけど熾天使(セラフィム)の長、だよ?」 「……そう、つまり彼女が第二のルシフェルになる可能性があるのだわさ」 「そんな……ちゃんと根拠はあるの、それ?」 あの内乱以降、天使軍の内部で例外なく警戒や監視が強化されているのは聞いているものの、それにしたって……。 「無論、無いワケがないだわさ。……ただし、これからお前さん自身で確かめてくるのも任務のうちだわさ」 「……つまり、まずは会いに行けと?」 ちなみに、御剣の翼を授かった日の夜は熾天使の皆さんに盛大なお祝いパーティを催してもらい、翌朝にケジメとしてミカエル様とお別れの挨拶を一旦交わした後に巣立って以降は顔を合わせていないけれど、少なくとも一緒に居た時はよく酔っぱらって愚痴っていた程度で、叛逆なんて言葉に繋がる空気を覚えた記憶はもちろん無い。 「いきなり、問答無用で討ち取って来いと命じられるよりはマシだわさ?とにかく、ミカエルと会ってまずは彼女の本心を聞き出して……後はお前さんの判断だわさ」 「……なら、違うと思ったら討たなくてもいいの……?」 「“主”を納得させるだけの根拠があれば、だわさがな」 「…………」 「それと、話が前後しただわさが、この任務さえ片付けば大体落ち着くので、約束通り守護天使ミッションに就いても良いという伝言だわさ」 「……そう……」 ようやくここでずっと聞きたかったセリフが出たけれど、よりによってここで言うかな……? 「ともかく、お前さんはミカエルに対して少なからずの恩義なり情を抱いているのは承知の上だわさが、ここは神の片腕として……」 「言われなくても、分かってる……!」 そして、更に追い討ちをかける様に続けられた言葉を乱暴に遮ると、私は全ての眼を閉じてエデンの塔の頂上から眼下に広がる夜景へ向けて飛び降りていった。 * 「……は〜っ……」 ……まったく、私はいつになったら溜息をつかずに済む時が来るのだろうか。 ようやく待ちに待っていた時を迎えられると思えば、その前に親愛なる師を討伐しろだなんて。 (とにかく、まずは会ってみて、か……) そろそろまた訪ねて行って一緒にごはんでも食べたいと思っていたのが、まさかこんな形での再会になるなんて……。 「…………」 やがて、中枢都市で最も高い建物の先端が見える所まで高度を下げ、かつてミカエル様が私を連れたルートを辿ってゆくうちに、勝手知ったる居住区の明かりが見えてくる。 (出来るものなら、私もあそこから通いたかったんだけどなぁ……) しかし、生憎 “主”の直属組はエデンの塔内部に住み込みとなるので、随分と久々になってしまったけれど、こんなに気分が乗らない“帰省”になってしまうとは。 「…………」 「ん……?あれは……」 ともあれ、それから目的地であるセラフィム・タワー上空まで差し掛かると、最上階の広いテラスの隅っこで、独り佇む見知った女性の姿が視界に映ってきた。 (ミカエル、様……) * 「……あら、お久しぶりね優奈?あれから元気にやっていたかしら」 やがて、不躾ながらテラスの上へ直接降り立ち翼を一旦仕舞った私へ、ここの家主であり、討伐対象でもある恩師は以前と変わらぬ調子で気さくに声をかけてきた。 ……ただ、もう夜も遅いプライベートな時間だというのに、珍しく飲んだくれている様子も無ければ、エンジェリウムで見る時のフォーマルスーツを着崩すことなく、しっかりと身なりも整えたままみたいだけど。 「ええ、おかげさまで。……あとすいません、本当は玄関からチャイムを鳴らすべきでしたけど、一人でいる姿が見えたものですから」 もっと言うならば、屋上の発着場にいる門番すら通していないので、今の段階では私の方が不審者である。 「気にしなくていいわ、私と貴女の仲じゃない。……それで、こんな時間に一体どうしたの?」 「えっと、それは……」 ともあれ、それから早速用事を訊ねられ、どう切り出したらいいか迷った私は、視線を逸らせつつ口ごもってしまうものの……。 「……まぁ、就任したばかりというのを差し引いても、それじゃメタトロン失格よ?今の貴女は“主”の真なる代行者なのだから、いかなる者の前だろうが威風堂々と伝えるべきを告げられないと」 「あはは……相変わらず手厳しいなぁ……」 それを見たミカエル様からいきなりダメ出しを食らってしまい、苦笑いを浮かべる私。 おそらく、ミカエル様も私が来るのを待っていたのだろうけれど、それでもここまでの会話の空気は以前のままというのが、また何とも言えない気分にさせられていた。 「私には、貴女を一人前にする義務を負わされているから。……ではもう一度訊ねるけれど、こんな時間に一体どうして来たの、神の片腕さん?」 「ミカエル……様、貴女には叛逆者の疑いがかけられています」 その後、ミカエル様から仕切り直され、今度は躊躇いは残しつつも真っ直ぐ用件を伝えた。 「様付けはもう不要よ。今は貴女の方が格上なんだし……それに疑いどころか、私を討てという指令を受けて来たんじゃないのかしら?」 「いえ、まず当人に会ってから自分で確かめろと……」 「なるほど……確かに、メタトロンはただ命令を遂行するだけの天使じゃないものね。それで、貴女はどう思っているの?」 「……そんなの、分かりませんよ!私はまだこっちに来て間も無くて、過去のミカエル様たちに何があったのかも詳しくは知らないですし」 それから、試すような言葉を続ける師匠へ、私は逆ギレ気味で正直に答えてやった。 ……お陰で、苦しいけど心を鬼にすべきなのか、濡れ衣だから助けてあげようとするべきなのかすら分からなくて、気持ちのモヤモヤがいつまでも収まらない。 「そうだったわね。……とりあえず一つ言えるのは、あの御方の懐刀、ルシフェル・チルドレンである私達は“主”よりずっと猜疑心を持たれ続けてきたってコトかしら?」 「そのルシフェルを討ち取った功績で最高位の熾天使(セラフィム)へと任命されたのに、ですか?」 「逆よ。手負いだろうがルシフェルを討てたチカラを有しつつも信用できないからこそ、あの方の後釜の地位に縛り付け、常に目の届く場所で監視されるコトになった」 そして、「これが通常ではあり得ない歴史的な昇進劇の真相よ」と付け加えるミカエル様。 「そんな……」 「天使としての地位が高くなればなる程に大きな翼は与えられるけれど、皮肉なことに自由は奪われてゆくもの。……貴女も気をつけなさいよ?」 「まぁ、それは私も既に実感していますけど……」 「……ほんと、いっそアークエンジェルのままだったら気楽だったのにねー?わざわざ自分の墓穴を掘らされる羽目にもならなかったろうし」 それから、自棄ぎみにそう続けたミカエル様は、疲れきった様子で溜息を吐いてくる。 「自分の墓穴って……」 「……ともあれ、命令通りに私を討つべきなのか、冤罪の可能性を信じて助けになるべきかを悩んでいるのならば時間の無駄よ?だって、元々これが規定路線なのだから。優奈が精一杯に頑張ったお陰のね」 「いや、そう言われても……」 そもそも、褒められているのか皮肉られているのか、それすら分からないんだけど……。 「……私はね、もう既に“主”を裏切ってしまっているの。正に危惧された通りに」 と、いい加減に置いてけぼりで話が進められるのにもウンザリしかけたところで、ミカエル様はこの星空で一際輝く煌月を見上げて告白してきた。 「え……」 「それで、その罪は何だと思う?」 「知りませんよ、そんなの……私に思い当たる可能性があるモノなんですか?」 「おそらくね。だって、“主”じゃない他の誰かを最も愛していると認めてしまった罪だから」 「…………っ?!」 そして、ミカエル様から告げられた罪状を聞いて、私の全身に電撃が走ってくる。 「そういえば、以前に此処で同じコトを言ったかしらね、天使は翼を受け取った時から自分の仕える唯一神以上に他の誰かを敬愛することは許されない。貴女の時は特例で簡略化したとしても、元々はじまりの翼を受け取る時にそれを誓うわけだし」 「……エンジェリウムが恋愛禁止なのも、その為でしたっけ?」 「ええ。己の分さえ弁えているのならば、天使でも婚姻を結び子孫を作るのも許されるのだけど、まずは天使としての原則を叩き込まないといけないし、間違いを防ぐ為の措置としてね」 「…………」 「けど、そういったある程度の“緩み”も残されている中で、敢えて“主”以上の存在を認めるのは我々の出来うる最大の叛逆行為であって、極刑も辞されぬ重たい罪になる」 「そのお相手は……かつての叛逆者で貴女が誰よりも愛してしまった熾天使ルシフェル、ですか」 「今はもう熾天使(セラフィム)じゃない。……そういうトコは今後気をつけなさいよ、優奈?」 それから、今更聞くまでもないものの確認はしておかなきゃと水を向けた私へ、ミカエル様は目を伏せて首を小さく振りながら素っ気なく指摘してきた後で……。 「……それはともかく、あの内乱の際、私はルシフェル様の行為は天使として間違っていると確信して自らの手で止めたけど……それでも、それでも愛した想いは消えずに燻り続けていてね」 握った拳を胸元へ当て、今までつかえていた想いを吐き出した様に告白してきた。 「ミカエル様……」 「正直、もしもあの方が例外なく魔界へ追放されていたのなら追いかけていたかもしれないけど、それも出来ないまま人間界送りという中途半端な処遇に決まり、絶対に堕天使達へは渡せない事情もあって私が自ら監視役を務めることになったの」 「だけど、翼のチカラを失い神から神霊力も補充出来ない人間界で、干乾びながらいつしか消失させられる運命だったはずのあの方は、墜とされた先で一人の人間、甘菜依子という名の少女と出逢い、やがて彼女の献身的な助力に救われてゆくうちに……いつしか魅かれ合ってしまった」 「……ええ、他の熾天使の皆さんから今は人間界で守護天使を務めている、とは聞いてます」 やっぱり、生前に愛奈ちゃんから聞いた、御影神社に最近入った外国人の巫女さんというのは……。 「一度は手にかけた私にそんな資格はないのかもしれないけど、あれは効いたわ。あなたの世界で言う、脳が破壊された心地、とでも言うのかしら?」 「だから……毎晩飲んだくれてしまう様に?」 「元々お酒は好きな方だったから、少し自暴自棄が入って歯止めが効かなくなったと言うべきかしら。まぁ、そろそろあなたが来る頃だと思ったから今宵は呑んではいないけど」 「そう……ですか……」 私の方は出来れば、歓迎の準備なんてしないでいつもみたいに酔い潰れていて欲しかった。 「……でね、あの方がそうやって新しく出逢った人間に剪定されながら私のコトなんて忘れかけているのを見て、そろそろウンザリしてきたの。“自”を捨てて理想の天使たらんと強いられているのにね」 「…………」 「それで、ある日とうとう言っちゃったの。やっぱり私の心は今でもルシフェル様の方にあるって」 「……言っちゃったんですか……でも、それならどうして私の師に……?」 「とまぁ、これが末端の天使ならば天使裁判にかけられ、全ての加護を剥奪されて容赦なく魔界へ突き落とされるんだけど、熾天使(セラフィム)である私はそう短絡的にはいかなかった。……特に、今みたいな過去の内乱から連鎖する一連の戦いで疲弊し、魔軍とのパワーバランスが崩れかけている状態ではね」 そう言って、「実はこれが一番の誤算だったんだけど」と、肩を竦めて見せるミカエル様。 「んじゃ、結局その時は許されてしまったんですか?」 「正確には処分保留かしら?“主”の耳に入った後も、アンタ達はまだ今の天界には必要な存在だから一旦聞かなかった事にしといてあげるわ、って」 「…………」 「正直、その処遇は私の方が承服し難かったけど、それでも呑むしかなかった。あれ以上歯向かった先に待つのは望みとは対極の幽閉だし、何よりガブリエル達も連帯責任になると釘を刺されてしまえば、もう選択の余地は無いでしょう?」 「そうですね……確かにそうですね……」 ……というか、なかなか“主”の方もやり口がエグいというか。 「そんな訳で、従順せざるを得なかったとしても、やっぱり本来の想いも捨て切れない日々が続く中で……ある時、条件次第で解放してやると持ちかけられたの」 「条件……?」 ……というか、何だか既視感を覚える様な展開だけど……。 「そう、私が抜けても有り余る戦力が確保出来たらという、当然といえば当然のものなのだけど、具体的には昔の内乱で失って以来、空席のままになっていた“主”の片腕を復活させること」 「“主”の片腕って、つまり現在の私……なんですよね……?」 「なんですよねって……まったく、自覚も足りていないんだから」 「え、えっとすみません……」 なんでダメ出しされてしまうんだろう……というか、調子が狂う。 「貴女で二代目になるメタトロンとは、高潔にして極めて純度の高い人間の魂がコアとして召され、無尽蔵の神霊力を行使できる翼と、それに耐えうる器が併せて与えられた特別(スペシャル)にして唯一無二の天使なんだけど、ラプラスの眼が新たな候補となり得る魂の昇天を予言したみたいでね。そのコが翼を受け取ったらアンタに預けるから、熾天使(セラフィム)を超えるチカラを秘めたあたしの片腕に育て上げなさいって」 「……まったく、神も残酷なものよね?いずれ自分の胸を貫く剣を自ら鍛えろというのだから」 「貫く?ミカエル様の胸を……?」 「果たして、貴女はセラフィム・クエストで勝ち抜き、神の試練も乗り越えて期待通りに御剣の翼を授かるまでに成長した。……残るは、総仕上げのみ」 そして、ミカエル様はそこまで告げた後で仕舞っていた自分の翼を全開に広げると、私へ向けて容赦のない圧力を放ってきた。 「く……っ、総仕上げって……」 「あとは、真なる代行者の第一歩として叛逆者を討つコトが適えば任務は完了。“主”に課せられた全てを満たして、文句なしの一人前ね」 「その為に……ミカエル様を討てと……?」 これ程の強烈な殺気を浴びせられるのは勿論初めてだけど、つまりそれは間違いなく本気という意思表示。 「…………」 ……しかし、それに対して私の方も自分の翼を広げて対峙したものの、未だに携えた剣の柄には手を添えられないでいた。 「いい加減に、様付けは止めなさい。言ったでしょう?ここまでは規定路線なの……ただ一つ、私がこれから始めようとするコトを除けばね」 それから、迷う私にミカエル様は冷静かつ冷酷に続けるや、振り上げた手を合図にテラスの床全体を使った円形の六芒陣が蒼白い光を発して浮かび上がってきた。 「こ、これは……?!」 天使軍の施設で似たような物は見たコトがあるけれど、確か異世界転送用の……。 「察しの通り、魔界へ続くゲートよ。今宵は煌月だから魔界への扉を開くには最適な夜なの」 「魔界へって、まさか……」 「ええ、私はこれからこのまま魔界へ亡命するつもりだけど、どうするのかしら?」 「ま、魔界へって……!どうして……」 「かつての同胞もまだ沢山生き残っていて、あちらも案外に居心地悪い場所じゃないみたいだし、あの方を待ちながら好きに生きてみようかって」 「魔界で待つ?……まさか、甘菜さん達を……」 「違うわよ。……というか、私はあの依子ってコには一度負けてしまった身だから、もう二人の仲を引き裂こうとする気なんて無い」 「負けたって……ミカエル様が、普通の人間に?」 「……だから、“主”は貴方たち人間に興味を持ったのよ。時には神や熾天使の前ですら想いを貫ける強さがあるから」 「…………」 「でもね、その彼女がいずれ寿命を迎えて守護天使の契約が切れた後は……ルシフェル様はきっと魔界で堕天使達の神となる道を選ばれるはず」 「……っ!堕天使達の、神に……」 「今の貴女なら、言っている意味は分かるでしょう?」 「…………」 確かに、魔界の堕天使達がルシフェルを求めた理由はそれ、だけど。 「いずれにせよ、もう私には追放される道しか残っていないとしても、堕天使としてじゃなく当代の熾天使の長が“主”を裏切りゲートを無断で開いて天使のまま魔界への亡命を企てる」 「ここまで辛い役回りばかり押し付けられた仕返しとしては痛快だけど、そちら側の貴女はどう……?それこそルシフェル様の叛乱と並ぶ程の、負の歴史に残り続ける汚点となるでしょうから、神の片腕としては何があろうが食い止めなければならない暴挙よ」 「…………っ」 「……ゲートの発動までに私を討ち取り、全てを未然に防げれば良し。もし敗れるか、情に絆されて私と戦えないからと見逃せば、間違いなく貴女は神を失望させて受け取ったばかりの翼も剥奪されるでしょうね?……当然そうなれば、もう二度と願いは叶わない」 「願い……」 愛奈ちゃん、私は……。 「ほら、迷う間にゲートが発動してしまうわよ?それとも、貴女も私と一緒に魔界へ行く?」 「……く……っ、私をナメないで下さい……!はぁぁぁぁぁぁ……ッッ!」 「メタトロンの名において命じます!プライマリ・デフォルト……!」 それから、挑発を続けるミカエル様に対して私は剣を抜き放って小さく跳躍し、相手ではなく六芒陣の浮かぶ床へと突き立てゲートの強制終了を命じると、発動直前にまで至っていた眩い光が急速に収まっていった。 これは七大天使と私だけが持つ“主”の権限を借りて強制力を行使する特権の一つで……。 「あら、やるじゃない?……けど、ゲートなんてまたいくらでも開けるんだから、私を斃さない限りは何の解決にもならないわよ?」 ……そう、そして最強と謳われる熾天使ミカエルを倒し得る天使は……この私(メタトロン)だけ。 「ミカエル様、貴女はどうあっても……」 彼女が本音の部分で何を求めているのかは……もう私にも分かっている。 だけど……それでも、私は……私にとっての貴女は……。 「ええ、私のこの想い……貴女なら分かってくれるでしょう?だって、私達って……」 「似た者同士、ですもんね……。分かってますよ……ええ、分かってますとも!」 やがて、私は頭を左右に振って次々と浮かんでは消える、この場所で積み重ねた恩師との思い出を振り払うと、メタトロンへ与えられた特別な天使剣……断罪の剣を両手で構えて深呼吸した後で……。 「ミカエル様……いえ、熾天使ミカエル!“主”への重大な叛逆および、天界の秩序を破壊せしめんとした罪により、我が翼と御剣(みつるぎ)の名において……私が、貴女を……断罪します……!」 まっすぐ“敵”の前で断罪の剣の切っ先を向け、高らかに宣言した。 ……最早、彼女の想いは止められないのを確信したし、この私も何時だって愛奈ちゃんにとっての天使のおねぇちゃんだから。 「ふふ、それでいいわ。……それじゃ、今宵は二人で楽しみましょうか?」 「望むところです……!」 そして、かつての恩師は満足げに一度頷いた後で、煌月の輝く星空へ向けて高く飛び上がると、私もそれを追う形で距離を詰めて行き……。 「では、いきます……ッッ!」 「来なさい……!」 やがて、間合いまで追いついた私が全力を込めて最初の一撃を切り上げると、甲高い刀身同士が交わる音を響かせつつ、相手の刃と真っ向から交叉した。 「……思えば、ほんの少し前までは飛ぶのすらおぼつかなかったコが、この短い間でよくぞここまでになったものよね?」 「確かあの時は、いきなり突き落とされましたっけ……てゃあ……っ!」 それから、短いながらも濃密だった時を経て、今はこうして二人で激しく剣を交えつつ、墜落の恐怖と戦い続けていた乱気流地帯を切り裂く勢いで駆け上がってゆく私達。 「今だから言うけど、あの時はもし途中で墜落しても助ける気は無かったのよね。付いて来られないコはその場で諦めてもらうのが、私なりの慈悲のつもりだから」 「こちらの方も、助けてもらえるかは半々くらいに考えていたからこそ、何とか踏ん張れた様なものなので、どうぞお気になさらず……っ!」 ほんと、つくづく不真面目な先生だったけれど、そんな半端な薄情さが私をここまで押し上げて、また何だかんだで心地良かったのはいささか皮肉な話かもしれない。 「やっぱり、デキるコは違うわねー?それに殆ど仮想戦闘しか経験していない割には、ちゃんと実(リアル)の戦いでも変わらず動けてるじゃない?」 「お陰さまで、最強の翼を貰いましたから……!それに、まだ貴女の方がホンキを出していないからでもあるんでしょうし……はぁぁ……っ」 一応、翼の性能自体はこちらが上回っているのが強気になれている最大の根拠だけど、もう一つは何だかんだで、あれだけ挑発して来た割に、相手が戦闘開始から私の攻撃を受け止め続けるだけで自分からは全く攻めて来ていなかったりして。 「……いやね、そういえば実体での戦闘経験は積ませてあげられていなかったのを思い出したから、せめてウォーミングアップの時間くらいはあげないとねって」 「さすがは私の師匠だけあって……余裕……ですね……ッッ」 「言うほどでもないけど……でも、そろそろいいかしら……?!」 「く……うあ……ッッ?!……って、あれ……?」 やがて、相手が上昇を止めた直後に勢いを付けて振り下ろした渾身の一撃がミカエルの天使剣の深い所で受け止められ、そのまま押し返された反撃の一振りで後方へ弾き飛ばされた私が態勢を整えつつ辺りを見やると、いつの間にやら月夜が照らすエデンの塔の入り口付近まで翔け上がってきていたみたいである。 「……“ココ”なら、思いっきり戦っても大丈夫でしょう?塔内にいる七大天使達も、結界の維持だけで空気は読んでくれるだろうから」 「なるほど、だからここに来るまでは準備運動、と……」 そんな気遣い自体に異存はないとしても、未だ相手の掌の上にいる状態なのも自覚させられ、冷や汗混じりながらも強がりの笑みを見せる私。 ……やっぱり、天使軍で比類なきと言われている天使剣の使い手を相手に、インファイトは翼の性能差を盛り込んでも厳しそうである。 「……さて、ここからは本気で行くわよ?“主”の目の前で証明して御覧なさいな」 「望むところです……!」 とにかく、周囲の被害を気にせずに戦えるようになったのなら、こちらにも好都合。 メタトロンの翼に秘められたチカラ、この戦場なら遠慮なく発揮できるだろうから……。 「……断罪者の翼よ、踊りなさい……!」 そこで、今度は無闇に距離を詰めるコトはせずに相手の周囲を飛び回りつつ、二十四の翼の先から白銀色に輝く羽根の形をした短剣を大量にばら撒いて立体的に襲わせてゆく私。 「…………っ」 それを見たミカエルは慌てて回避してゆくものの、私にとっては羽根の短剣が直接当たるかどうかは大した問題じゃなかった。 何故なら、この羽根はただの刃じゃなくて、起爆能力もある武器だから……。 (今だ……!) 「甘いわよ……!」 「しまっ……ッッ?!」 しかし、当たらずとも大量の短剣を相手の周囲へ集めたタイミングで起爆を念じた次の瞬間、相手の熾天使の翼から強烈な衝撃波が放たれると、逆にこちらへ放ち返されてしまう。 「……わわ……ッッ」 そこで、今度は私の方が慌てて短剣の連鎖爆発からの回避に専念させられるものの……。 (あれは……!) 「……では、そろそろ反撃に移ろうかしら?さぁ、行きなさい……!」 その間にミカエルの翼の先から放たれた蒼白い光が彼女の前方へ集まっているのが見えると、やがてそこから小さな天使の姿をした無数のエンジェル・ビットが一斉に襲い掛かってきた。 「く……っ?!」 「……さて、受け切れるかしら?」 しかも、避けようにも数があまりに多すぎて対処に迷いが出たところで、更にミカエル自身も消えて見える程の速度で距離を詰めてくる。 (まずい、このままじゃ……) おそらく、この二段攻撃をどちらも防ぎきるのは無理……。 (いや、そっか……!) しかし、私はすぐに肝心なコトを思い出すと、ヘタに動かず敢えてエンジェル・ビット達は無視して集中攻撃を浴びつつも、相手の気配の察知に感覚を研ぎ澄ませ……。 「そこ……っ!」 やがて、すぐ目の前で一旦消えた敵の動きを読んだ私は、背後に回りこんで薙ぎ払ってきたミカエルの一撃を断罪の剣で振り向きざまに受け止めた。 「……そう、それでいいの。神の片腕にしてエデンの塔の最終防衛天使でもあるメタトロンの防御力は完璧だから、必殺の一撃以外は無視をすればいい」 「……っ、この期に及んで、まだレクチャーですか……!」 本気で殺しに来ると言っておいて、また情が芽生えて斃しにくくなるというよりも、いい加減にイラっとさせられるんですけど……っ。 「出来るだけ、心残りは解消しておかないとね。……だけど、気をつけなさいよ?」 すると、かつての師匠はそんな私に冷酷な笑みを浮かべた後で、交差した剣を捌いてバックステップすると……。 「神の片腕(メタトロン)を一撃で斃しうる攻撃は、他にもあるのだから……!」 同じく一旦退いて距離を取ろうとした私へ、ミカエルは自分の天使剣に雷を纏わせて鋭く振り下ろすと、切っ先から金色に眩い高密度な雷撃の槍が放たれて来た。 「なんの……っ!」 それを見て、咄嗟に回避は無理だと判断した私は、断罪の剣で斬り払おうとしたものの……。 「ぐぅ……っ?!しまっ……」 振り払われて散った雷の束がそこから今度は包み込むように私の周りに纏わりつき、瞬く間に手足を拘束されてしまう。 「…………っっ」 雷からの痺れる痛みは無いものの、その代わり全身の感覚が急速にマヒして剣を持つ感触すら奪われてゆく私。 「……まだまだね?あの程度は軽々避けられないと……」 対して、こちらの未熟さを詰る呟きと共にミカエルは左手を翳すと、私の周囲に数え切れない鋭利な長剣の林が取り囲んできた。 (本命はこっち……?!) 「……終わりよ……!」 ええいっ、誰が終わりになんてするもんですか……ッッ。 「はぁぁぁぁぁぁ……ッッ、こんな拘束(モノ)……っ」 それでも、私は自分が誰なのかを忘れて取り乱すことなく気合一閃で拘束を強制解除してやると、囲んだ剣が一斉に串刺しにしようとしてきた寸前に正面から強行突破してみせた。 「やるじゃない……けど……!」 そのまま、間を詰めて反撃の一撃を繰り出そうとする私に対して、相手は刀身に紅蓮に猛る炎を纏わせて迎え撃とうとしてくるものの……。 「貴女の方こそ……甘いです……っ!」 私は惑わされることなく、まっすぐ切っ先だけを見据えて断罪の剣を重ね合わせた。 (……うぐ……っ) 勿論、刀身越しに流れ込んでくる炎に包まれて熱いといえば熱いけど……でも、“それ”だけじゃ致命傷にはならないハズだし……。 「いいわ……段々と“らしく”なってきたわよ?」 「わっ、私にだって、ここで絶対に負けられない理由があるから……!」 ここで退けばもう二度と愛奈ちゃんに会えなくなると思えば、こんな程度……ッッ。 「ふふ、愛のチカラって奴かしら?」 「……ええ、お互い様ですけど……だりゃあああああっっ!!」 そして私は更なる気迫を込めて炎ごと力任せに薙ぎ払うと、そのまま昂ぶる想いの赴くままに改めて斬りかかってゆく。 ……結局、戦い方に関してはどのレンジで戦っても優位に立てないのなら、もういっそ余計なコトなんて考えなくて力押しの方がマシ……かも。 「っと……!ここへ来る道中の時より全然踏み込みが鋭くなってきてるじゃない……!ホント末恐ろしい存在ね、貴女は……」 「お生憎かもしれませんけど、師匠には恵まれましたので……!」 自慢じゃないけど、こうして剣を重ねてゆくうちに段々と太刀筋も見えてきてますし……っ。 「……違うわ、これが貴女に秘められていた魂の輝きそのもの。私は……我々はそれを引き出す手助けをしたに過ぎないもの」 「別に謙遜なさらずとも、天衣、いえ、御剣優奈は私が育てたでいいじゃないですか!てやぁっ」 「……あなたも結構言うわよねぇ?……でも……」 「でも……?」 「……やっぱり、“主”は一つ罪を犯してしまったみたいね?もしかしたら、自覚しているからこその贖罪が貴女なのかもしれないけど……!」 「罪……?ってうぁ……っ?!」 しかし、このまま勢いで押し込めるかと思えば、やがて相手の言葉に惑わされて僅かに攻撃の手が緩んでしまった隙に胸元を狙った強烈な反撃の一撃を叩き込まれてしまうと、痺れる衝撃に何とか武器こそ弾き落されなかったものの、そのまま攻守が逆転してしまった。 「く……っ、ズルい……っ」 「……ほら、どうしたの?私はまた一つ叛逆してしまったわよ?!“主”の片腕なら、速やかに粛清してみせないと……!」 「心にも無いことを……っ」 (……けど……そっか……) やっぱり……私の二番目に好きになってしまったひとは、もう同じ天使じゃいられないんだ。 「……は〜〜〜〜ぁ……」 「……何よ、この私を相手に戦闘中に溜息なんて、余裕あるじゃない?」 そこで、期せずしてまた深い溜息が零れてしまった私へ、こちらの気も知らないミカエル“様”は攻めの手を緩めないまま呆れた様な反応を見せてくる。 「いえね、期待通り云々は知らないですけど、せっかく同列に立てる天使にはなれましたし、貴女とは今後ともいい間柄でいられたらどれほど楽しかったろうにって……」 「あら、卒業したらお友達になって欲しいって、もしかして本気だったの?」 「本気も本気、大マジでしたよ。……でも今宵で、全て過去形にしなきゃならないんだって」 しかも、この私の手で。 「……それに、今となっては後悔しているコトも一つありましてね?私が居候させて頂くにあたって食事を作りたいと申し出た本当の理由なんですけど、一緒に住む以上は家族っぽいカンケイになりたいと思ったからでした……それが……」 果たして私達は互いに本音や本性を曝け出せる間柄にまでなったけれど、まさかその挙句にこんな宿命が待っていたなんて……。 「……それは悪かったわね。けど、だからこそ……」 「っ、分かりたくもないのに、ワカかってしまうんですよね……!」 それから、いよいよもって涙腺が溢れかけてしまったところで、動きが読めた斜めからの一撃を綺麗に捌いてバックステップする私。 「……ならば、そろそろ幕引へと向かいましょうか、ミツルギさん?」 「ええ、そのつもりです……けれど……」 それから、ある程度の距離を置きつつ互いに態勢を整えたところで、一旦天使剣を鞘へ納めたミカエル様から決着を促され、相手と同じく覚悟が決まってしまった私も頷き……。 「けれど?」 「……これは、メタトロンに課せられた義務だからでも、目先にぶら下げられたご褒美の為なんかでもないです。運命的な邂逅を遂げた親愛なる貴女へ向けた、天衣優奈からの手向けと受け取って下さい」 最後にそれだけ告げた後で、同じく断罪の剣を収めて右手を翳しつつ、その先にありったけの神霊力を一箇所へ集めてゆく。 「そう。……けれど、宣言通りに行くとは限らないわよ?」 「分かってますよ……ただ、少なくとも私達は互いに恨みっこは無し……でしょう?」 相手に討たれる痛みも、大切と思える人に刃を突き立てる悲しみも。 「ええ……“主”よ、今こそ約束を果たしましょう……」 そしてミカエル様の方も、私と同じく眼前に広げた掌の上へありったけの神霊力を高密度の球体のカタチに集めた後で……。 「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」 「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッッ!!」 特に示し合わせた訳でもないのに、やがて私達はほぼ同時に集めた神霊力の塊を投げつけると、衝突した二つの同質のチカラは世界を真っ白に染めてしまう程の大規模な爆発を引き起こしていった。 「……勝負……ッッ!!」 同時に、眩い閃光で前方が全く見えない中で私は二十四枚重ねの翼を全開にして断罪の剣を抜くと、躊躇い無く全速で突撃していき……。 「…………ッッ!!」 「…………!」 おそらく同時に突撃してきた相手と交錯するタイミングを見極めて渾身の突きを放った直後、腹部を裂かれる熱い痛みと……肉体の中心を貫く重い感触が同時に伝わってきた。 「…………っ」 「……う……ぐ……っ、ほんと、私達は似た運命の星を背負ってしまった者同士よね……」 「……まったくですよ……かつて貴女がルシフェルを手にかけた時の心境は、おそらくこんな感じなんだろうなって……」 程なくして、閃光が晴れて互いの身体が真っ赤に染まりゆく中、暫し無言の時間が過ぎた後で断罪の剣に胸を貫かれたミカエル様が息も絶え絶えに切り出してきたのを受けて、恨みがましく肯定してやる私。 こちらも辛うじて致命傷には至っていない程度の深手は負わされているものの、肉体が裂かれる痛みよりも、心の痛みが覚悟していた以上に耐えがたいものだった。 「……けど、あなたは私みたいなエデンの仇花にはならない様にね?」 「もう、身勝手だなぁ……ただ、私には姿を見せたら喜んでくれそうな相手もいますから……」 「羨ましいわね……果たして私は、待っていて貰えているのやら……くぅ……っ」 「……お世話になったせめてものお礼とはいえ、ここまで付き合ってあげたんですから、犬死にだったってオチだけは勘弁してくださいよ……?」 それから、私は鮮血を吐きながら自虐気味に呟く師匠へ、致命傷も同然の一撃を与えた断罪の剣を引き抜いて減らず口を続けるものの……。 「ふふ、私もそう願ってるわ……」 「とはいえ、あの人を待つと言っても、御剣(わたし)が黙って行かせてあげられるかも分かりませんけど」 「その時は……別に恨んだりはしないから安心して。う……っ、あなたも今じゃ……私の好きな人ランクの上位だものね」 「っっ……もう……ズルいです……ここでそんなコト言うなんて……!」 せっかく最初のお役目を完璧に果たせたのに、勝手に目頭が熱くなってきてるじゃない……! 「ふふ、そうね……うぐ……っ、けど……あとこれだけは……言っておくわ……」 しかし、それでもミカエル様はそんな私を気遣ってか、もしくは心からの本音なのか……。 「……なんですか……?」 「ありがとう、優奈……貴女に出逢えて……よか……」 ……やがて、とうとう耐え切れなくなって瞳から涙が溢れ始めた私へ、とびきりの天使の笑み(エンジェリック・スマイル)を見せてくれた。 次のページへ 前のページへ 戻る |