天使の姉は愛を貫く その9
終章2 天使が自分を探す街
「……しっかし、まさかこんなトコロに天使軍所有のシェアハウスがあったなんて……」 やがて守護天使ミッション再開へ向けての準備も全て整え、いよいよ懐かしの人間界、それも生を受けた地元に天使として戻る日が訪れ、最初に出向いた不動屋さんから鍵を受け取って向かった郊外の住宅地にある一軒家の前で、私は改めて周囲の風景を見回しつつ呟いていた。 この古い住宅街は通学路でもあったので、私も生前に何度も行き来していただけに、なんだか不思議な感慨が湧いてくる。 「天使軍はこちらに常駐エージェントは置いていないんだけど、こうやって活動拠点は世界中にいくつも確保してるから……」 ともあれ、それでも勝手知ったる土地ということで、特に気負いもなく木製のお洒落な門扉を開いて早速新しい第一歩を踏み出そうとした私とは対照的に、こちらは人間界への訪問が初めてなラミエルちゃんが、隣にぴったりと張り付きつつ上目遣いで儚くも可愛らしい顔を不安の色に染めて答えてくる。 「えっとつまり、私の生まれ故郷は天界にとって拠点を置く程に意味のある場所だった?」 「……うん。この街は歴史的にも天使との関わりが深いから。ハニエルも遥か昔にこの地へ降りて縁結びをしたコトがあると聞いたし」 「知らなかった、そんなの……」 まさか、大昔から天使の舞い降りていた街だったとは……。 「だから、この辺りには天使に関する伝承も沢山残ってるみたい」 「ああ、そういえば確かに……」 言われて思い返せば、街の中心部にある広場の噴水に立派な天使像があったり、御影神社にも古くから天使の伝説が残っていて、その境内には天使の絵が飾られていたし、何かと姿を見かける機会は多かった気がする。 ……まぁだから、甘菜さんも天使が落っこちてきたのを見て天啓とでも思ったのだろうけど。 「だからおそらく、私の赴任先にこの街が選ばれた理由のひとつにもなっていると思う……」 「んー、ラミエルちゃんが納得しているのなら何よりだけど……ところで服が伸びそうだから、そろそろその手を離してくれたら嬉しいかな?」 「あ、ご、ごめんなさい……!」 ともあれ、会話を続けつつも玄関ドアの鍵を開けて中へ入ろうとする前に、こっちへ着いてから服の袖を掴み続けられているのを私が苦笑い交じりに指摘すると、焦った様子でようやく離してくるラミエルちゃん。 (うーん、今からこんな調子で大丈夫なのかな……?) まぁ、大丈夫そうじゃないから私を付けたんだろうけれど、不安げな表情に加えて身体つきも華奢な分、余計に弱々しく見えて可憐といえば可憐なんだけどこっちまで不安になってきそうだった。 ……というか、そんな姿が何処となく昔の愛奈ちゃんと似ているのもあって、私の中の“姉”の部分がきゅんきゅん刺激されてもいるし。 「まぁ、あまり無理はしないで、どうしても厳しそうだったら言ってね?」 「だ、大丈夫……!私には必要なコトだからがんばる……!」 「……そっか。まぁとにかくラミエルちゃん、いや水無月(みなづき)栞(しおり)ちゃんがこの街で一人前の住人としてちゃんと生活を送れるようになるまでは、私がしっかりサポートしてあげるから」 ともあれ、それでも断固とした想いを込めて意気込む姿に崇高な志も感じた私は、自然と笑みが零れつつ、いつかの自分がミカエル様からかけられた様なセリフで約束してみせた。 「う、うんっ、よろしくお願いします……!」 「あはは、そんなに肩に力を入れなくても大丈夫だから。……ほら、まずは入りましょう?」 ……これもまた、廻り巡った恩返しの機会なのかもしれないし、ね。 * 「はー……日が高くなったら一気に暑くなってきちゃったなぁ……」 「うん……。天界には四季が無いから、ちょっと斬新……」 「あはは、私はすっかり忘れかけてた……」 やがて、大掃除まではしなくていい程度にハウスキーピングされていたものの、備品は足りないものだらけだった家内を軽くチェックした後で、作ったリストを手にショッピング街まで買い物に繰り出した私達は、梅雨も空けた初夏の陽気に汗を滲ませつつ苦笑いを浮かべ合っていた。 (というか、まだ六月というのに私の生前より暑くなってない……?) 実際、気温を見るとこの時期で既に30℃近いから実際に高いのだけど、それだけじゃなくて天界は通年で春の様な温暖かつ穏やかな気候だから、余計に暑く感じられているのかもしれない。 ……ともあれ、鍵を受け取った午前中はまだ涼しさを感じられていたのに、お昼を過ぎてから急に暑くなりだして、出かける前には拠点のクローゼットに用意されていた夏服には着替えていたものの、強い日差しが露出した肌をじりじりと蝕んできていた。 「でも、まだまだこれから暑くなるんだよね……?」 「ええ、真夏に入るとこんなもんじゃないから、覚悟はしといてね?……というかゴメン、出かける前に日焼け対策しとくべきだったかも」 UVクリームを塗るだけじゃなくて帽子も被った方が良かったかもしれないし、このままでは日焼けの初体験をさせてしまう羽目になりそう。 (というか、こんなに気が回らなかったかな、私って……?) 生前は、むしろ愛奈ちゃんから優しくて自慢のおねぇちゃんだけど口煩いのだけが玉に瑕かな?と言われていたくらいなのに、ポンコツ恩師のお世話から解放されて訛ってきているのかもしれない。 「う、ううん……!わたしも自分で気付いてちゃんと出来るようにならないといけないんだし……。でも、いきなり沢山買い込んじゃったね?」 ともあれ、職務怠慢と謝罪する私にラミエルちゃんは慌てて首を横に振り、話題を変えようと互いの両手一杯に下げている荷物に目をやってきた。 「これから当面あの家に住むことになるんだし、普段使うものは真っ新の方がいいかなって」 なので、この他にも玄関のマットにカーテン、お布団など、配送にお任せした大きな買い物も大量にあって、暫く巣作りに追われそうである。 「うん……。ところで、優奈はいつから始めるつもりなの?」 「んー、まずはラミエル……栞ちゃんが無事に対象者を見つけて契約出来た後にかな?」 その間はザフキエルにも言われた通り、ラミエルちゃんや他の場所で同時にスタートさせた他の守護天使候補の手助けを出来る範囲でやりつつ、下準備を整えてって感じで。 「責任重大だね!がんばる……」 「あはは。そんな気負わなくても私の方は別に焦ってはいないから、納得のゆく相手が見つかるまでゆっくりと探してくれれば」 一応、守護天使になる相手を見つけて契約までは百日間の期限があるんだけど、その後からの方が私にとっても好都合だし。 「え?うん、でも……」 「実はね、愛奈ちゃん……私の守護対象者が次の一月に誕生日を迎えるの」 それから、両手の拳を並べて可愛らしく握り締めたまま、こちらの事情も知っている栞ちゃんが意外そうに顔を上げたのに対して、彼女の左手の指に嵌められたエメラルドの指輪へ視線をやりつつ言葉を続ける私。 ここで流れをおさらいしておくと、守護天使を志した天使はまず天界中枢に古くからある「ラプラスの眼」という占術システムで導かれた結果をもとに候補者が選ばれて派遣先が決定し、やがて人間界に降り立った後に自ら守護対象者と接触して合意を得られたら儀式を行うという、ラミエルちゃんみたいな内向的なコにはちょっとハードルが高いのだけど、契約を交わした証として渡すのが各々の天使が司る守護石で、彼女の指にあるエメラルドの指輪はいずれ幸運な誰かさんに贈られるはずだった。 つまり、私も愛奈ちゃんの守護天使になったあかつきには自分の守護石の指輪をプレゼントする事になるけれど、いつかの約束がこんな形で叶うなんてね。 「じゃあ、それに合わせるカタチで?」 「ええ。……ただ、私の死後に法律が改正されたみたいで、ちょっと段取りが狂っちゃったけど」 とはいえ、愛奈ちゃんが十八歳になるまでにはさすがに待てないし。 「…………?」 「いえいえ、とにかく栞ちゃんは期限一杯まで使ってくれて構わないから、妥協せずがんばろ?」 「うん……」 ちなみに、契約後の三年間は人間界に留まって守護対象者を見守ることになるけれど、渡した石には守護天使の魂の一部が封じ込められており、契約を結んだ対象者がそれを身に着けている限りはどれだけ離れていても加護を受けられるという、単なる証ではなく恩恵そのものでもあって、その後は天界へ戻って指輪越しに加護だけ与えるのもよし、そのまま留まり続けても構わないとのこと。 もちろん、私の選択肢は分かりきっているとして、果たして栞ちゃんはどっちを選ぶのだろう?っていうのはまだ鬼が笑っちゃう話か。 「ま、とにもかくにも、まずはしっかり新生活の準備から……ん……?」 それから、国道沿いの道を並んで歩きながらやはり心細さが隠せない様子のラミエルちゃんを励ましてゆくうち、決して忘れられない場所が見えてきて……。 (あそこは……!) 「……え、どうしたの?……優奈?!」 すぐに居ても立ってもいられなくなった私は、因縁の場所へと駆け出して行っていた。 * 「…………」 あの日の痕跡は、確かにまだこの交差点の一角に残っていた。 勿論、あの事故が残した爪跡そのままではないとしても、一部舗装し直されて色あいが違っているこの場所で、二年前の雪の降りしきるクリスマスイブに私は最愛の人を庇って命を落とし、そんな自己犠牲を評価されて天界へ召された後に……こうして御剣優奈――大天使メタトロンとして再び戻って来ている。 (愛奈ちゃん……) 生まれ変わった後も脳裏に焼きついたまま決して消えることのない、今わの際に微かに届いた最愛の妹からの張り裂けそうな叫びと、急激に霞んでゆく視界の中で垣間見えた、悲しみと絶望に満ちた泣き顔。 ……思えば、愛奈ちゃんには私よりもつらい思いをさせてしまったかもしれない。 「……だけどね、それでも私は“天使のおねぇちゃん”のまま、ここへ戻ってきたよ」 やがて私は荷物をその場へ下ろすと、心の赴くままに変装用に着けていた季節外れのニット帽とメガネを外し、後ろ髪を縛っていたリボンも解いた後で、青く澄み渡った空を見上げつつ呟いた。 それは、心が荒みかけていた頃も、涙を呑んで師を討った時も貫き続けてきた私の矜持。 「……はぁ、はぁ……急にどうしたの?優奈」 「ああ、ゴメンなさい。……ここはね、昔の私――天衣優奈が“死んだ”場所なの」 「え、そ、そう、なんだ?……あの、なんて言えばいいのか分からないけど……」 やがて、息を切らせて追いついてきた栞ちゃんに問われて私が自虐気味に告げると、視線を落として困った様な表情を見せてくる。 「あはは、今となっては御愁傷様もないだろうし、まぁおめでとうとでも言ってもらえれば」 「…………」 すると、開き直って笑う私に、栞ちゃんは背伸びをしたまま、ぽんと私の頭に手を乗せてきた後で……。 「お……?」 「……よく、頑張りました。……そして、よくぞここまで愛を貫きました」 私を選んだ大天使様は優しい笑みをたたえて褒めてくれた。 「ありがと……でも、それは私にとっては努力でもなんでもなかったから」 だから。 「……わたしも、そういう風になれるかな?」 「ん〜まぁ、お相手次第じゃない?そもそも、愛なんて強制されるものじゃないし」 「うん……」 ……だから、私が決めた愛奈ちゃん。次に迎えるお誕生日は、今度こそ幸せに包まれた日にすると約束するから、もう少しだけ待っていて。 「……優奈……」 「それじゃ、そろそろいこっか……?いつまでも留まってたら倒れそうだし」 「だね……あの、よかったら冷たいもの食べに行かない?」 「お、ナイス提案。もちろん、いいお店を知っておりますとも、栞姫?……まだ潰れてなきゃだけど」 「もう……姫はやめて……」 「あはは……ごめんごめん」 ……さて、戻ってくるべき場所へ辿り着いた後は、また再び踏み出さないとね。 * 「……にしても、四百年以上前だっけ?あの言い伝えが全部ホントの話だったとは……」 やがて、今でも無事に繁盛していた生前ご贔屓のかき氷屋さんへ栞ちゃんを連れて行って一休みした後で残りの買い物を済ませての帰り道、そろそろ空の色がオレンジがかってきた中ではじまりの広場入口前へ通りかかった私はふと足を止め、ここからでもしっかりと存在感を示している広場中心の天使像を見つめながら呟いた。 「しかも、まさか自分が天使になってるなんて……?」 「……うん、ロマンチストな愛奈ちゃんと違って、私は誰かが考えた都市伝説の類だと思ってたから、余計に不思議な感じかも」 うちの地元には古くから天使降臨の伝説が残っていて、中世の頃にこの土地を切り開いて村を作った旅の若者のもとへ背中に翼を生やした美しい女性が降りてきた後、お嫁さんを貰える様に縁結びをしてくれたそうで、当時の人達が天津縁比売命(あまつえにしひめのみこと)と呼んだその女性を祀った神社が今もあるだけでなく、彼女が降臨した場所にして村の中心地だったはじまりの広場の中央部の噴水には背中に翼を生やした神々しい女性、つまり天使様をイメージした像が飾られてシンボルとなっている。 ……とまぁ、御影(みかげ)神社に伝説を記した古文書が残っているとはいえ、今どきは本気で信じている人も少ないだろうけれど、ただこんな街だからこそ、生前の私に天使なんて仇名が付いたのかもしれない。 「普通はそうだと思う。……それでもわたし達は人間の信仰心が無くなればいつしか消えてしまう存在だから」 ただそれでも、ここはあくまで人間の世界だから、天使や魔族が存在感を強めすぎて行く末にまで干渉してしまうのは避けなければならない。 ……だから、基本はおとぎ話な存在のまま、時々実在の痕跡を残して何となく信じてもらえている、という状態が理想みたいだけど。 「そういえばさ、ラミエルちゃんはどうして私に目を付けて推薦したの?さっきも言ったけど、私自身は天使の存在をそれほど信じてる方でも無かったのに」 繰り返すけど、自分にとっての天使は愛奈ちゃんに他ならない、今でもその気持ちは不変な私に。 「ん……天使とは護る存在だから、選ばれるのはその想いが強いひと」 すると、丁度いい機会と今更ながらの質問を向けた私に、ラミエルちゃんは繋いでいた手を少しだけ強めてそう告げてきた。 「護る想い、ねぇ……」 「あなたは目の前で誰かが泣いていたら手を差し伸べずにはいられないひとだけど、その時に損得なんて一切考えないで動ける人間だったから」 「……“護る”っていうのは、そういうこと。それが出来るひとに相応しい翼を与えれば、きっとエデンの塔だけじゃなくて天界を護れる天使になれるはず」 「えっと、それはいささか買い被りじゃない?特に愛奈ちゃんが私に天使の姉を求めてからは、そう在りたいが為にやってたと思うし」 今になって考えれば、私も何だかんだでエンジェリウムの他の利己的な生徒たちと大差なかった気もするんだけど。 「違う。優奈は本質がそうだから……だから、妹さんもそんなあなたを天使と呼び慕ったの。いつかは自分もそういう人になりたいって」 「うーん……やっぱり買い被りだと思うけどなぁ……」 正直、愛奈ちゃんは私みたいになる必要なんてないし、みんなから愛される人間にならなくたっていい。 なんだったら、友達だって無理に作らなくていい。 ……なんて生前は思っていたくらいのエゴイストなんですけどねー、この私って。 「まぁでも、正直なところはわたしの目が正しかったのかはよく分からない……だからこそ、守護天使をやってみたいと思ったから」 「……なるほど。んじゃ、大昔に天より降り立った天津縁比売命もそんな感じで?」 御影神社に残っていた資料を基に造ったと言われる、まるで女神の様に神々しくも美しい姿をした天使像の意匠を見るに、それなりの高ランクの天使が降り立ったのかもしれないけど。 「うん。……というか、今ちょうど本人いるみたいだし」 「へ……?」 と、一体誰なのかは知らないものの思いを馳せていると、栞ちゃんはそう言って、噴水近くにあるベンチへ腰掛け、地元の女子学生と話している女性の方を指差した。 「あれは……もしかして……?」 「……ありがとうございましたー!私、勇気を出して頑張ってみますね!」 「ええ、相性は決して悪くないお二人ですから、きっと神様のお導きがあるはず。ただし、焦りは禁物ですよ〜?」 「…………」 それから、栞ちゃんに縁結びの神様の正体と言われた、見覚えのある相手を確かめようと広場へ入って近づくと、容姿端麗という言葉がこれ以上似合う人はいなさそうな顔立ちに、キラキラとしたロングの金髪を棚引かせる碧い眼をした若い女性が、お礼を言って先に席を立とうとしている、生前の私が通っていた高校の夏服を着た快活な風貌の女子生徒へ人懐っこい笑みを浮かべて励ましている姿が目に映った。 (ああ、やっぱり……って、そういえば……?) とりあえず、近付くにつれて自分の見覚えの確認は出来たものの、ここで更にもう一つ生前に学校で聞いたことのある噂話をふと思い出す私。 ……確か、夕暮れ時のはじまりの広場には神出鬼没で恋愛相談専門の占い屋さんが出没していることがあって、しかもマジ天使としか言いようのない笑みで癒してくれるのだとか。 しかも……。 「らじゃでっす!それじゃこれせめてものお礼ですので、どうかお納めくださいな♪」 「あらあら、お気になさらずともよろしかったですのに……でも、ありがとうございます」 その後、相談者の女子生徒が鞄から商店街にある人気のチョコレート店の包みを差し出すと、無欲な占い師さんは苦笑いを浮かべつつお礼を述べて受け取った。 「…………」 そう、しかもお代はお気持ちだけでと一切要求しないので、代わりにお菓子とかちょっとしたものを持参するのが通例なんだとか。 なので、商売よりもただのシュミでやっているっぽいものの、しかし実際に占ってもらったらその精度ま高さに驚かされる、というのが聞いたことのある評判だった。 「いえいえいえ!お礼を言うのは私の方なんで!あの、また見かけた時は声かけていいですか?」 「ええ、私はいつでも恋する乙女の味方ですから♪貴女に神のご加護のあらんことを」 (恋する乙女の味方、ね……) まぁ、そこにケチを付ける気は無いとしても、やっぱり一言物申したい相手ではあったりして。 「は〜〜い!……って、うちは仏教なんですけどねーあはは」 「ふふ、かまいませんよ。では〜♪」 「…………」 「……さて、お次は貴女がご相談でしょうか?天衣優奈さん」 それから、相談者の女の子が大きく手を振りながら立ち去ってゆくのを、天使の笑みを浮かべつつ控えめに手を振り返して見送った後で、謎の美人占い師さんはベンチに腰掛けたまま、すぐ側にまで近付いていたこちらへ改めて水を向けてくる。 「あーいえ、縁結びの地祇様が降臨されてると聞いたもので、ちょっとご尊顔を拝見しようかと」 「も〜、神様はやめてくださいよぉ。あの時はやり過ぎだって結構怒られたんですから……」 そこで、少しばかり思うところのある私は腕組みで珍しく皮肉がかった返事をすると、美と愛を司る七大天使の一角は困った様な顔で苦笑いしてきた。 「まったく……“主”の御威光を伝える為に降りたのに、自分が神様扱いされてたら世話が無い……」 「ううう、ラミエルちゃんまで……ですが、いよいよ貴女も一歩踏み出されたんですね♪」 「うん……これから暫くは水無月栞なのでよろ」 「ふふ、分かりました。では優奈さんを差し置くつもりはありませんが、これから力になれることがあれば遠慮なく相談してくださいね♪……なにせ此処は、私にとってもう一つの古里みたいな場所ですし」 古里、か……。 「そういえば、ザフキエルちゃんがいつもフラフラしてるとぼやいてましたけど、つまり何だかんだで、天津縁比売命もといハニエル様は結局一旦天に還った後も、こうやってちょくちょく顔を出していた、と?」 「ええまぁ、ナイショですけどねー。ちなみに、今はこちらでは神月(こうづき)夢叶(ゆかな)と名乗っていますので、どうかこれよりは夢叶と呼んでください♪」 「夢叶さん……」 それは、すごく素敵な名前ではあるんだけど……。 「はい?」 「…………」 さて、どうしよう。 一度、お話しておきたかった相手ではあるんだけど、でも今更なぁ。 「……まぁまぁ、私も貴女とはお話したかったので、少しだけ座っていきません?」 「ええまぁ、そーいうことでしたら……」 ともあれ、先方さんにそう言われれば悩むことはないか。 私は素直に頷くと、先ほどまで相談者が座っていた隣の席へ栞ちゃんと並んで腰かけた。 「……えっと、本来は貴女ではなく本人に直接謝罪するべきなのでしょうが、ミカエルちゃんには申し訳ないことをしてしまったと思っています。私はいつでも恋する乙女の味方のつもりで、彼女もその一人と認識していたつもりだったのに……」 それから、私達が着席して少しの沈黙の後で、結果的には今回の元凶になってしまったハニエル……夢叶氏が俯きながら申し訳なさそうに切り出してきた。 「まぁそれについては、私も何も言えませんけどね……そもそも、聞いた状況下でどうしてあげるべきだったのかが思い付きませんし」 「一応、人間界への追放先を指定したのは私なんですが、さすがに御影神社の跡取り娘とルシフェルをくっ付けようなんて最初から考えていた訳ではありませんでした。……ただ、人一倍天使に憧れていた依子(よりこ)ちゃんなら面倒を見て貰えるかなと思っていたら、ルシフェルにひと目惚れした彼女の献身さは、あの利己主義の塊だった叛逆者の心をも揺り動かしてしまいまして」 「…………」 つまり、それがミカエル様の言っていた「負けた」の意味か。 「……やがて、一度迎えた消滅の危機を救われた後はルシフェルも依子ちゃんの事ばかり考える様になってゆきました」 「それで、いっそ甘菜さんの守護天使としてやり直させようと?」 「ええ。魔界には追放出来なくて、堕天使のままあの街に置き続けるのも争いの火種になる危険が……いえ、水面下で既にそうなっていた中で、彼女に天使の原則を思い出させるのにも丁度いいかなって」 「……そうですね……」 ミカエル様の一番弟子として、あまりに酷な役目を押し付けたコトへの文句を言いたい気持ちは残っている反面、確かに人間界で彼女の争奪戦が起こりかけた中でルシフェルが新たな出逢いを経て愛に目覚めたのなら、縁結びの大天使として二人を応援してあげる以上の良策は私も思い付かない。 ……たぶん、ミカエル様もそれは天界を護る者としては分かっていたのだろうけれど。 「……ですが、結果的にはそれをよく思うハズも無い監視役のミカエルちゃんを悪者にするカタチになってしまい、危うく彼女まで咎人となりかけたのをあの時は何とか辻褄を合わせたんですが……」 「…………」 「私は、どれだけミカエルちゃんが傷付いていたのか、そして彼女の秘めた想いがどれ程強かったのか、愚かにも過小評価してしまっていたみたいです……はぁ」 そして、深いため息の後で「私もハニエル失格ですねぇ……」と遠い目をしてぼやく夢叶さん。 ……どうやら、思っていたより凹んでいて反省もしているみたいなのは何より。 だけど。 「……でも、もし今のセリフをミカエル様が聞いたら、余計なお世話と怒るだけだと思いますよ?」 正直、そんな言い草に同情どころかイラっとしてしまった私は、素っ気なく代弁してやった。 「…………っ」 「胸に抱く想いは自分だけのもの。そんなの他の誰にも測れるものじゃないし、測って欲しくなんて無い。ミカエル様は心の赴くままに芽生えた愛を貫いた。それだけの話です」 負けを認めた甘菜さんに現世を譲ったのは、愛する人も彼女の側に居ることを選んだから。 けど、甘菜さんの天寿を待ったとしても今の地位に居続ける限りはルシフェルとのよりを戻すコトは絶対に許されないから……だからそれも自分に課せられた義務を果たした末にかなぐり捨てて見せた。 ……神の片腕という立場としては叛逆者だろうが、その生き様は流石は私が師と仰いだヒトである。 「…………」 「私だって、貴女よりはミカエル様の理解者とは思ってますけど……それでも、あの人が抱えていた想いの深層までは知ろうとしないままでよかったと思ってます。ただ……」 そして私は、まるでお説教を受けているかの様に黙り込む美と愛を司る大天使へ本音を告げた後で……。 「ただ……?」 「それでも、狂おしいほど誰かを好きになる経験は私もしてきましたので、何となくの共感だけは出来ますけどねー」 だからこそ、ほんの一部でも痛みも感じ取ることが出来るのだと苦笑いしてみせた。 「優奈……」 「脅すつもりはないけど、栞ちゃんも覚悟はしときなさいよー?恋の幸福と痛みは表裏一体だから」 「…………」 「……そう、ですか……そうですよね……」 すると、夢叶さんは暫く無言で俯いていたものの、やがておもむろに顔を上げて自分に言い聞かせる様に小さく呟き……。 「ふふ……やっぱり、私も一度苦しんでみなきゃならないみたいです。まぁ、元々そのつもりでしたが」 自虐気味ながら前向きな笑みを見せた。 「……まぁ、あまり誰かれ構わずに背中を押していたら怒られそうですけど、でもこればっかりは体験してみないことにはってハナシですし」 口には決してしないけれど、ミカエル様に対して負い目を感じているというのならば尚更、ね。 「ですよね〜、まぁ怖いというよりも楽しみではあるんですが」 「……んじゃ夢叶も、いずれこの街で……?」 「ええ、ご縁のあるこの街の、そして出来ればこのはじまりの広場で見つけられたらなって」 「ロマンチストですねぇ……まぁ、噂通りのやりたい放題だなぁとも思いますが」 もちろん、人のコトは私も一切言えないとして……。 「噂通りって、も〜ワガママ腹黒さん扱いだけはやめてくださいよぉ」 「あはは、そういった風評被害については少し共感も出来ますが」 どうやら、思っていた以上の似たもの同士っぽいけれど。 「風評被害って……二人ともいつも好き放題に振る舞ってる所為で自分にしわ寄せがきてばかりってザフキエルがぼやいてたけど、むしろわたしが監視した方がいいのかな……?」 すると、横からやり取りを見ていた栞ちゃんが、軽口だけどあまり冗談にも聞こえないセリフを独り言の様に呟いてくる。 「い、いえ、それは……」 「えっと……ゴメンなさい、あーでもちゃんとお役目は果たしてますので……」 ……そう、いつか再び訪れる最期の時まで、自分の信じる天使を貫くというお役目を、ね。 終わり 前のページへ 戻る |