天使の姉は愛を貫く その8
終章1 原点回帰
……夢を見ていた。 あれは確か、小学六年の頃の愛奈ちゃんが将来の夢を作文にする宿題を出されて書きあぐねていたのを、中学生になっていた私が相談に乗った時……。 「まだいくらでも後で変えられるんだし、今は何となく頭に浮かんだのでいいとは思うんだけど、ぱぱっと何か出てこないかな?」 「……ん〜っ、ぱっと浮かんだのは、おねぇちゃんのおよめさんかな?」 「あー、あはは……そうきましたか……」 やりたい事が沢山あって悩むというよりも、候補自体が出てこなくて困っていた様子だったのでシンプル思考を勧めてみれば、すごく嬉しいんだけどちょっと反応にも困る答えが返ってきて思わず苦笑いしてしまう私。 「だめかな……?」 「おねぇちゃんは全然オッケーなんだけど、ちょっと宿題用には向かないかな?」 ……いや、本音はしっかり書いてもらって明日は愛奈ちゃんがクラスみんなの前で自分はおねぇちゃんのお嫁さん宣言をするというのは想像するだけできゅんきゅん来るけれど、一応私にもそれなりに良識というものが……。 「うーん、そうだよねぇ……。なにかべつのは……」 「あ、でもね。おねぇちゃんはちゃんと覚えておくから……!」 ともあれ、そこで難色を示されて素直に引き下がってしまった愛奈ちゃんを見て、慌てて引き留めるように頭へ手を乗せつつフォローを入れる私。 宿題の答案には向かないだけで、このやり取り自体を無かったコトにしてしまうわけには。 「ほんと……?」 「ええ。その証に愛奈ちゃんが十六歳になったら、おねぇちゃんが婚約指輪をプレゼントしてあげるからね?」 そこで、無邪気な笑みをたたえて嬉しそうに見上げてきた愛奈ちゃんへ、私はさらに勢いでそんな約束まで口走ってしまった。 とはいえ、本物はやっぱりまだ無理として、今後の収入予測から用意できそうなのは……。 「うんっ!……それで、おねぇちゃんの将来のゆめってなんなの?」 「え……?!わっ、私?おねぇちゃんは……そうねぇ……うーん……」 それから、腕組みしつつ具体的な金策の思案を始めた矢先に愛奈ちゃんから逆質問を受け、慌てて今度はそちらへ頭をフル回転させてゆく私。 実は自分も将来の職業について真面目に考えたコトはなかったけれど、愛奈ちゃんが私のお嫁さんになってくれるのなら、幸せな家庭を維持する為にもしっかりと養っていける仕事を選ばないと。 ……でも、だからと言って稼げても一緒にいる時間が少なくなるのは論外だし……。 「……あはは、おねぇちゃんもパッと思いついたのでいいんじゃない?」 と、そんなこんなでまたも長考になってしまった私へ、愛奈ちゃんが同じ言葉で返してくる。 「いやいや、私はほら色々背負うことになるし……って、ああそうだ、参考までに愛奈ちゃんは私になって欲しい職業とかある?」 そっちのパターンもありというか、愛奈ちゃんの為ならスポーツ選手以外なら何にでもなれそうな気もするし。 「んー、それはおねぇちゃんの好きなコトやればいいと思うけど……」 すると、愛奈ちゃんはいきなりの私からの無茶振りに苦笑いを返した後で……。 「けど?」 「……ただ、ずっと一緒にいてくれたら、それでいいよ」 最後に少し頬を染めつつ見せてくれた愛くるしい笑みは、言葉に喩え様の無い眩しさだった。 「……っ、愛奈ちゃん……!!」 ……そう、やっぱり天使なのは私なんかじゃなくって……。 「……な……」 「……うな、優奈……」 「……うへへへへ、もう愛奈ちゃんってばイケナイ子なんだからぁ……」 だけど、そんなコトを無防備に言おうものなら、こんな風に問答無用で抱きしめられて……。 「……こら、起きるだわさ優奈……ッッ!」 「んお……っ?!」 しかし、それから力いっぱい抱きしめてちゅーまでしてしまった感触の記憶が蘇りかけたところで、引っ叩かれた様な強い呼びかけで意識を引き戻されてしまった。 「う〜〜……あれ……?」 「やっと目を覚ましただわさか、メタ子……」 それから、気持ちよく眠っていた夢の中から引きずり戻された後に辺りを見回すと、腰掛けていたのは実家のリビングではなく、星空の広がる相変わらずのエデンの塔の最上階で、周りを囲む様に敷き詰められた無数のスクリーンの前では、私を叩き起こした七大天使の同僚が呆れたように溜息を吐いてきていた。 「だわさちゃん……メタ子はやめてって前にも言わなかったっけ?ふぁぁぁ……」 せっかく、“主”から御剣なんて新しい呼び名も賜ったのに。 「普通に呼んでやっても起きないからだわさ。……というか、疲れたのなら自分の部屋に戻って休めばよかろうに、こんな所で居眠りされていては示しがつかないだわさ」 「んー、他の誰かが見てるわけじゃないし、やっぱり居心地いいのよねー。誰かさん以外に邪魔は入らない場所で、ここも結界内だから風が穏やかで寒くもないから」 なので、最近はいっそここにベッドを持ち込もうかと真剣に検討もしていたりして。 「別に、お前さんの為に空調してやっているワケじゃないだわさ。……というか、この結界を維持するのがどれだけ大変なのか分かっているだわさか?例えば、あの夜なんて危うく……」 「……それで、今回はなに?まーた天使軍の幹部に叛逆者が出たから始末してこいと?」 ともあれ、それからグチグチとお小言を続けられていい加減に疎ましくなったところで、皮肉たっぷりに用件を尋ねて遮る私。 何だかんだで、私を気にかけて世話を焼いてくれるのは有難いんだけど、お小言が長くなりがちなのが、まだお友達認定までには至っていない要因だろうか。 「生憎、天使軍の秩序はまだそこまで乱れちゃいないだわさ。……そうではなくて、例の“望み”はいつ始めるつもりなのかを確認しに来ただけだわさ」 「……んー、まだ気持ちの整理がついてないから、もうちょっと延期かな……」 本当は、最近になって愛奈ちゃんの夢を見る機会も増えたくらいに、今すぐにでも駆け出して行きたい気持ちは強まっている反面で、私の腰は未だに重たいまま。 おそらく、まだ心のどこかに曇りがあるからなんだろうけど……。 「お前……本当に引きこもり天使と化してないかだわさ?そもそも、あの後からずっと……」 「……失敬な。いきなり酷な任務を押し付けられたから、傷心してるだけですー」 「自分で言うなだわさ。……しかし、気に病まずとも御剣(お前さん)にミカエルを討たせて彼女を望み通りに魔界へ追放してやったのは、むしろ”主”の御慈悲だわさよ?」 「もちろん、そんなのは言われなくても分かってるけど……」 ただ、お世話になった恩師であり、掛け替えの無い親友にもなれそうだった相手を自分の手で討たなくてはならかったのはやっぱり辛い経験で、しかも相手に刃を直接突き立てた感触は仮想バトルとは全く違うものだった。 ……それに何より、彼女みたいに大切な者の為に全てを捧げられる天使が天界から排除されてゆくのが、私にはどうにも残念で納得できないというか。 「ま、気持ちの克服に今しばらくの時間が必要ならば、それでもいいだわさ。ただ、それはそれとして頼みたい仕事があるのだわさ」 「ほぉら、やっぱり来たじゃない……」 まぁ、実はそろそろ誰かにお尻を叩いて欲しかった頃合でもあるんだけど。 「……いやいや、この件はお前さんにも責任があるのだわさ」 ともあれ、何だかんだでまた面倒ごとを押し付けられそうな予感に私があてつけがましく肩を竦めてやると、ザフキエルは困った様な顔で同じく肩を竦め返してくる。 「ん、どういうコトかしら?」 「あれから、お前さんが何ヶ月もそうやって塔に引きこもっている間に、天使軍内にも変化が起こっているのだわさ」 「……あーもう、だから引きこもり天使のレッテルを引っ張るのはやめてってば」 何だか、いつの間にやら定着しそうで困るんですが……。 「事実だから仕方がないだわさ。……で、一体何が起こっているのかといえば、実は守護天使の志願者が急増して対応に追われているのだわさ」 しかし、こちらの反論を軽くあしらって続けられた本題は、私をあっさりと黙らせてしまうには充分なインパクトのあるものだった。 「へ……?」 「今回のセラフィム・クエストで守護天使への志を胸に戦った物好きはおそらく只一人だわさが、そのお前さんが圧倒的な強さを見せつけ、最後は神の試練すら越えたのだから、その姿に感じるものがあった天使が沢山いたと思われるのだわさ」 「うーん、それは喜ぶべき事なのやら、現金だなぁと言うべきやら……」 まぁ、自分の天使像を笑われ闇落ちしかけた時期もあったのを思えばやぶさかじゃないとしても、結局私は好きな人の理想の存在になりたかっただけである。 「やもすれば、そろそろ原点回帰へ向かおうとしているのかもしれないだわさな?古(いにしえ)の時代には全ての天使に守護天使となるのが義務付けられていただわさが、それは人間からの信仰を集めるだけでなく、天使とは大切な者を護るための存在という原則を忘れさせない為だったと聞くだわさ」 「うん、私もそう思って天使のお誘いに乗ったんだし……」 だとしたら、やっぱりいい傾向には間違いない……かな? 「……ただ、守護天使ミッションに活気が戻るのはいいだわさが、一方でリスクも高いんだわさ。近い様で異なる人間界への順応もさることながら、守護対象者を見つけ出して契約し、その後も適切な関係を保ち続けられるのか……実際、過去には道を踏み外してしまった者も少なからずいるのだわさ」 そして、「それが次第に守護天使ミッションが奨励されなくなり、段々と廃れてしまった理由の一つでもあるのだわさ」と付け加えてくるザフキエル。 「……なるほどねぇ……んんー……」 それを聞いてしまうと、私も愛奈ちゃん相手に天使としての自分をちゃんと保てるかの自信が無くなってきそうだけど……。 「まぁそんなワケで、守護天使ミッションを安全に遂行する為には、しっかりとしたサポートと監視が必要なのだわさ。つまり……」 「まさか、私にそれをやれと……?」 「監視はメタトロンにとって主任務の一つであるし、何より人間出身なお前さん以上に適任者はそうそういないだわさな?」 「でも、一体何人が志願しているのかは知らないけど、全員の面倒をみろだなんて……」 恐ろしく重労働な予感に加えて、近いうちに私自身も守護天使になる予定なのに。 「まぁ、話を最後まで聞くのだわさ。それでも、熾天使の管理下に置かれている天使はガブリエル達に任せておけばいいのだわさが、実は“こちら”側にも感化された者が出ているのだわさ……」 そこで、言っているコトは理解出来てもさすがに快諾は難しい私へ、ザフキエルは腕組みしたまま微妙な表情を浮かべて続けてくる。 「こちら側って、まさか……?」 「……言っとくが、あたしじゃなくてラミエルの奴だわさ」 「へー、ラミエルちゃんが……?」 ラミエルとは、このだわさちゃんと同じ七大天使の一角であり、その名は神の雷霆、もしくは慈悲の意という二面性を持ち、“主”の意思を受けて選ばれた者へその黙示を伝える役割を持つんだそう。 自分も一応は選ばれた者ながらラミエルちゃんからの幻視は届かなかったものの、実は元々私の魂を天使候補に推薦したのも彼女なんだとか。 「どうやら、唆したのはハニエルの奴みたいだわさが、普段は大人しい癖に言い出したら聞かない面がある故に止められなかったのだわさ」 「ハニエル……そういえば、ちょくちょく人間界へ降りて行ってるんだっけ」 ハニエルは「神の栄光」、または「神の恩寵を与える者」の役割を担う、同じ“主”の側近でも断罪者である私とは対極に近い位置づけの七大天使の一角で、確か美と愛を司る存在として、このエデンの塔を護る以外に人間達へ縁結びもしているそうだけど。 「ラミエルもハニエルと同じく“導く者”であるがゆえに、お前さんの姿を見ているうちにもっと人間について知りたいと思う様になったのだわさ。それで、昔から人間と関わりを持ってきたハニエルに訊ねたところ、試しに守護天使でもやってみればどうかと」 「……それで、すっかりその気になっちゃったんだ?」 「だわさー。普段は大人しい癖に言い出したら聞かないワガママ姫だけに引き留めるのは断念したのだわさが、その代わりに段取りはこちらで決めさせてもらうコトにしたので、お前さんにも同行して欲しいのだわさ」 「と、言われても……人間界だって場所が変わればほぼ別世界なんだけど」 自分も知らない国へ行って案内役をやれと言われてもムリがあるというか。 「心配は無用だわさ。彼女の派遣先はお前さんと同じ場所に決まったのだわさ」 すると、こちらの懸念を払拭した後で、「ついでにお前さんも下見と準備を進めておくといいだわさ」と付け加えてくるザフキエル。 「え、そうなんだ?まぁそーいうコトなら……」 そんなお膳立てなら、確かに私のお仕事なのかもしれないけれど。 * 「それにしても、守護天使を始める前に里帰りになるなんてなぁ……ふぁぁぁ……」 やがて、今後についてザフキエルと話を詰めてゆくうちに夜明けを迎え、エデンの塔の高層にある自室に戻ってまずはお風呂へ向かった私は、ミカエル様と同居していた時にセラフィム・タワーのお店で見つけて使っていたお気に入りのボディタオルとソープで身体をごしごしと清めながら、誰にともなくぼんやりと呟いていた。 (……お生憎様、いくら屋上ニート化が進んでいても、お風呂には毎日入ってますからー) っていうのは、だわさちゃんから不潔疑惑を向けられた際の反論だけど、メタトロンになって以来は朝にこうやって窓から日差しを浴びながら自室のお風呂にゆっくりと浸かるのが日課になっていて、私には愛奈ちゃんを見守っている時間の次に大切な安らぎのひと時である。 「……は〜っ……」 ……けど、もうすぐそれも一旦打ち切り。 これから暫くは忙しくなりそうなので、今日は思い残すことがない位にのんびり……。 「……お、いたいた。まったく、朝帰り娘が優雅なものねー?」 「ええまぁ、そーいうのも許されてるご身分ですから……」 と思ったのも束の間、やがて二人くらいは余裕で入れる広いバスタブに浸かり手足を伸ばしたところで、今度は別の口煩い小さな来客が脱衣所の方からからふわふわと侵入してきたのを見て、ぶくぶくと泡を立てつつ自棄っぱちに言葉を返す私。 このエルは“主”の神霊のカケラを擬人化させた分身の一つなんだけど、こうやって案外フットワークが軽いのは私にとって困りものな上司だった。 「言うじゃない……ってまぁ、そのくらい図太い方が助かるんだけど」 「あはは、努力はしてみますけど……それで、わざわざどうしたんです?」 「ん、さっきザフキエルから聞いたわよ。ようやく重たい腰を上げてラミエルと一緒に人間界へ降りるそーね?」 「……えーまぁ、そろそろ心無い汚名を広められそうなのと、熾天使ミカエルに続く断罪相手が七大天使のお姫様になるのもしんどいですから」 「それがメタトロンの役目なんだから、辛い仕事ばかりさせてゴメンとは言わないわよ?今更、こんなつもりじゃなかったってのも聞くつもりはないし」 ともあれ、口の減らない相手に釣られて私も遠慮なく減らず口を返してやると、エルは腰に手を当ててふんぞり返りつつ居直ってくる。 「正直、泣き言の一つも吐きたい気持ちはありますけど、まぁ言っちゃったらお仕舞いですし」 それに、今の私にはヘタに慰められるよりは心地いいかもしれない。 「……ただま、確かに最近は少しばかり締め付けすぎたかな?ってのも無くはないんだけど」 「あはは、ミカエル様から罪を犯したなんて言われたコト、実は結構気にしてました?」 「んなワケないでしょーが。何時如何なる時も神に間違いは無いの。……ただ、少しばかりさじ加減を変えてみる気になったってハナシよ」 「へーへー……ここはお礼の一つも言っておくべきですかね?」 まったく、神様って面倒くさいんだから。 「……とにかく、カクゴはしときなさいよ?これからあんたにとって少しは居心地のいい天界になるだろーけど、その分くっそ忙しくなるかもしれないから」 「生憎、私はじきに守護天使を始めるつもりなんですし、その間は……」 「守護天使やりながらでも役目は果たせるでしょ?その間に断罪者の役目をやりたくないのなら、頑張って対象者が出るのを防ぎなさい」 「やっぱり、そういうお話になるんですよねぇ……やーれやれ……」 疲れに効く入浴剤を入れた湯船に浸かっているというのに、何やら肩が凝ってきそうだった。 「後悔しても手遅れなんだから、これから精々楽しみなさいな。……あーそれと、ガブリエルがあんたと会いたがってるそうよ?」 ともあれ、そんな私にエルはダメを押した後で、ふと思い出したように暫く顔を合わせていない恩人の一人の名前を出してきた。 「ガブリエル様か……ううーん……」 確かに、ここらで一度顔を出しておく理由は出来たんだけど、でもなぁ……。 * (……あれ……?) やがて、だわさちゃんとエルの双方から促されたのもあって、お風呂から上がって支度も整えた私は、ガブリエル様に会う為に卒業してから四半期が過ぎたエンジェリウム中枢校を久々に訪れたものの、お昼休みの通い慣れた校舎の通路を一人歩きながら何やら違和感を受けていたりして。 (……うーん、なんだろう……?) 卒業間近のセラフィム・クエストを控えていたあの頃と比べれば、まだそれほど切羽詰っていない時期というのもあるのだろうけれど、何だか漂う空気が穏やかというか、すれ違う候補生達の表情は柔らかく、楽しそうな笑い声もあちらこちらで聞こえてきたりして、自分が通っていた頃のギスギスと常時張りつめていた緊迫感は一体どこへやらといった風である。 ……中でも、目に付くのは距離の近い生徒同士の仲睦まじい姿で、ちょうど向かいの教室から出てきた長身の凛とした女性と、その腕に幸せそうにしがみついている小柄で可愛らしいコの組み合わせなんかも微笑ましいというか、目に毒というか……。 「……もう、歩きにくいからしがみ付かないでと言ってるでしょう?」 「でも、目を離しちゃったらよく勝手にどこかへ行ってしまうじゃない?……それでも、ちゃんと戻って来てくれるけど」 (あ〜、いいなぁ……) そういえば、愛奈ちゃんが小さい頃は私が出かけようとするたびにあんな風なやり取りを積み重ねていたっけ……。 「って、ジョゼッタさん……!」 「え?……って、優奈さん?!……いえ、今はメタトロン様でしたっけ?」 しかし、それからペアの片割れが在学時の友人だったのに気付いて私が声をかけると、相手もすぐに驚いた顔を浮かべて名を呼んでくる。 「……いや、普通に優奈で構わないけど、隣の人は確か……」 「ど、どうも……アネモネです」 ついでに、もう片割れのコにも見覚えがある気がして思い出そうとする私へ、アネモネちゃんは先に名乗りつつぺこりと頭を下げてくる。 「……ああ、チーム戦の時に当たったジョゼッタさんの幼馴染みだっけ。何だかんだで、今期は一緒にやってるんだ?」 「わたしはそんなつもりじゃなかったんですが、たまたま同じクラスになってしまって、こうして付き纏われている次第なんです……はぁ……」 「……けど、何だかんだで拒まないから調子に乗っちゃうんだけどね?うふふー」 そして、溜息交じりに素っ気無く答えるジョゼッタさんに、アネモネちゃんの方は幸せそうにそう言って、私へ見せ付けるように腕を組み直す。 「そ、そうなんだ……でも、何だか今は雰囲気が違うよね?何かあったの?」 「まぁ一言で片付けるなら、色々と緩くなりました。以前は恋愛禁止どころか、無用な馴れ合いすら避けるのが暗黙の了解だったんですけど、今期からはむしろ交流を深めて仲間意識を高めていこうと、ガブリエル様が始業式で全校へ向けて訓示されまして」 「あはは、まぁそっちの方が正常だよね?ホント息が詰まりそうだったもの」 願わくば、もう一年ほど前からやって欲しかったけど。 「ええまぁ……あの、ところで優奈さん。ここで会えたのも百年目といいますか、何があったのか繋がりで一つ訊ねておきたい事があるんですが」 「ん、なに?」 「その……先月にミカエル様が急死された件です。天使軍の公式発表では魔軍との戦争で負っていた古傷の悪化が原因でという事になっていますが、実際は貴女が討ったというのは本当なんですか?」 「……っ、そ、それは……」 ともあれ、それから不意打ちで出来れば触れられたくなかった話を遠慮がちに振られ、視線を逸らせつつ口ごもってしまう私。 まぁ一応、正確には死んではいないんだけど、確かに私の手で討ち取った後で……神より叛逆者の方を選んで魔界へ追放された、とは流石にそのまま公表出来ず、名誉の負傷で殉職したことになってそれなりの葬儀も行われた、とは聞いている。 聞いているというのは、まぁさすがに出席する気が起きなかったからだけど。 「その反応……やはりそうだったんですか。お祖父様からはミカエル様は叛逆者だとまで言われ、とても信じられませんでしたが……」 「…………」 評議会がどこまで正確に情報を掴んでいるのかは分からないし、もしかしたらジョゼッタさんを使って確かめようとしているのかもしれないけれど、ただ人一倍ミカエル様に強い憧れを抱いていただけに、黙ってはいられないのも分かる。 「優奈さん……あの、もちろんわたしだけの心に留めておきますので」 「……私だって、出来れば何かの間違いであって欲しいと願ってたけど……でもミカエル様のもとへ降り立った時はもう手遅れだった」 そこで私は、暗黙の約束を信じて彼女から視線を逸らせたまま、出来るだけ言葉を選びつつ答えた。 ……だって、発端は私が天使にどころか、この世に生を受ける遥か前の話なのだから。 「手遅れって、あなたでも止められなかったんですか?」 「あれは、たとえ“主”であろうが止められないよ……。だから、私が手向ける羽目になってしまった。皮肉といえばあまりにも皮肉な話だけど」 「そんな……」 「……ただ、最期は満足そうだった。それだけが救い、かな?」 ついでに言うなら、彼女の望みで仕組まれていた皮肉だからこそ私も受け入れられたし。 「満足って……どうしてそんなコトが言えるんですか?」 「えっと、それは……」 すると、更にジョゼッタさんから踏み込まれて、私は再び口ごもってしまうものの……。 「んふふ〜、ダメだよジョゼッタちゃん?誰しも踏み込んじゃいけない領域はあるんだからー」 「…………っ?!」 しかし、そこから不意に馴れ馴れしさに満ちた声が背後から割り込んできたと思うと、柔らかいながらもイヤらしい手つきでお尻を撫でられてしまう。 「やっほー、優奈ちゃん。元気にしてたー?」 「が、ガフリエル様……?」 「ちっちっち、今じゃ逆にあたしの方が様付けしなきゃならないくらいでしょ、ねー優奈様?」 「いや、やめてくださいよ、もう……」 しかも、メタトロン様ならともかく優奈様て。 ……あと、生徒の前でいつまでセクハラを続けるおつもりですか。 「あはは。でも、そろそろ来るんじゃないかとは思ってたけど、下界は久しぶりー?」 「まぁ、久しぶりといえば久しぶりですが……」 というか、下界って言い方も……まぁ、確かにそんな感じかもだけど。 「んじゃま、積もる話も色々あるにせよ、まずは理事長室へいこっか。どっちみち、あたしに会いに来たんでしょ?」 「あ、はい……」 とにかく、まずはお仕事の話を片付けておかないとね。 「でも、その前に……えっとジョゼッタさん、私はあなたから恨まれても仕方がないとは思ってる。まぁ天使の規則で仇討ちは受けられないけれど、私を憎みながらでも乗り越えて欲しいの」 ただ、話の途中だった友達を放置したままには出来ないので、教え子の前でお尻を撫でるのを止めないガブリエル様の手から逃れつつ、改めてジョゼッタさんと向き直って謝罪する様に告げる私。 正直、仲間と思っている人に恨まれたままというのも私が辛いけれど、それもミカエル様の名誉を守る為……。 「……恨むわけがないでしょう?本当はあなたが一番辛いはずなのも知りながら、それでも言わずにはいられなかっただけで……すみません」 すると、そんな私にジョゼッタさんはちょっと怒った様に返した後で、彼女の方も申し訳なさそうに頭を下げてくる。 「ううん……私も分かってるから。だって、今でも友達でしょ?」 「わたしは、出来ればライバルのままでいたいと言いませんでしたっけ?……とにかく、仇討ちとかそんな考えはないですけど、ただこれから研鑽を積み直して更なる力を付けたあかつきには、いずれ何らかの形で再び挑ませてもらいますので!」 「うん、本気にしてちゃんと待ってるからね?」 そして願わくば、その意地っ張りやさんがいつまでも健在でありますように。 * 「……んじゃ、優奈ちゃんの方はラミエルちゃんのサポートに専念してくれるんだね?」 「ええまぁ、なるべくご協力はしたいんですが、私自身もじきに守護天使を始めるつもりなので、そのくらいが精一杯かなって」 「うんうん、ちゃんと分かってるって。その為に頑張ってきたんだもんね?けど、こうして優奈ちゃんが顔を見せてくれるのはいつぶりかしらん?」 それから、ミカエル様のいない理事長室へ久方ぶりに招かれ、まずはお仕事の打ち合わせを軽く済ませた後で、ガブリエル様から軽く咎める様なセリフを向けられてしまう私。 「いやまぁ、一応気にはしていたんですけど、なんていうか……」 本来は、あの後で私の口からお三方へ報告しておくべきとは自覚しながらも、やっぱりどうにも顔を出しづらかったりして……。 というか、皆さんに顔向けできそうもないのが、ミカエル様の葬儀に出なかった理由の一つでもあるし。 「ミカエルのコトなら、優奈ちゃんが気に病む必要はないよ。あのコは、もうずっと長い間あの時を待ちわび続けていたんだから」 すると、そんな私の心情を読み取ったのか、素っ気なくフォローを入れてくるガブリエル様。 「…………」 「それに、セラフィム・クエストも佳境に入った頃にミカエルが私に言ってきたコトがあってね?自らの手で自分の胸を貫く剣を鍛えさせようとするなんて、“主”も随分と残酷なことをなさるものけど……」 「……でもね、それでもこのコにだったら本望かなって思える相手と引き逢わせてくれたコトには感謝してもいいかなって」 「…………っ」 ミカエル、様……。 「……ありがとね、優奈ちゃん。キミならきっと、神の片腕が立派に務まると思うよ?」 そして、ガブリエル様は感謝の言葉と共にこちらの両手を取ると、慈愛に満ちた天使の笑み(エンジェリック・スマイル)を浮かべて私を励ましてくれた。 「いえ……ありがとうございますは、こちらのセリフです……」 何だか、これでようやく救われた心地になったし、それに今さら悟った気がするけれど、私はミカエル様との戦いの痛みを乗り越えるんじゃなくて、糧にしなきゃダメなんだ。 「んじゃ、これからも頑張ってね、優奈さま〜?残されたあたし達も応援してるから、またいつでも会いに来て?」 「……だから優奈様はやめてくださいってば……けど、こちらこそ頼りにしてますので」 そして、またいつか……って、本当に再会する日が来たら天界的には大ピンチなのか。 「ぷっ、あはは……」 「ん……?」 「いや、なんでもないです……あはははははは♪」 それから、思わず噴き出す様に声が出てしまったところで、ガブリエル様がきょとんとした顔を見せるものの、首を横に振りつつお腹を抱えて笑い転げてしまう私。 「もー、なんなんのよー?」 「いえいえー……ひぃぃ」 さて、あの不器用で一途な仇花は、果たして新天地で二度咲きして見せてくれるかな? ……まぁそれはこの私も、なんですけどね。 * 「……あ、ゆうなさまおかえりなさいませー♪」 「おひさしぶりですー♪」 「えへへ、ご無沙汰でしたねー。ポメリさんにペリエさん」 やがて、ガブリエル様と別れて日も沈み始めた夕暮れ時、あの戦い以来となるセラフィム・タワーの屋上発着場に降り立つと、可愛らしい智天使(ケルビム)の姉妹が以前と何ら変わらない様子で出迎えてくれたのを受けて、私は自然と頬を緩ませつつ二人の名前を呼んだ。 「え……?」 「わ……?」 「……あはは、名前で呼んで貰えたのが嬉しかったのでお返しです。ところで、熾天使(セラフィム)の皆さんはもうお帰りですかね?」 「あ、はいです。というか、ちかごろはおかえりがはやい感じですねー?」 「それに、いぜんと比べるとお元気もなさげですー」 「ん〜、なるほど……」 そこで、不意打ちを喰らったかの如く、びっくりした顔を同時に見せた二人にしてやったりの笑みを見せつつ尋ねると、また少しばかり足取りが重くなりそうな回答が返ってきて、すぐに苦笑いへと変わってしまう私。 (やっぱ、顔を出しづらいなぁ……) ただ、自分の口できちんと顛末を伝える義務はあると思っていたし、ガブリエル様との別れ際に「ウリエル達にも一度顔を出してあげて」と背中を押されてここまで来たのだから、もう覚悟を決めて訪ねていくしかないんだけど。 * 「……おう、優奈か。久方ぶりだな」 「ええ、最近はとんとお見限りでしたね?目標通り神の片腕(メタトロン)の翼を授かった貴女の卒業祝いをミカエル宅で盛大に催した夜以来でしょうか」 それから、ケルビム姉妹に見送られつつ螺旋階段を下りて行くと、中央ロビーのソファーにそれぞれ離れた場所で腰掛けていた目当ての二人が私の姿に気付き、揃って何やら気が抜けた様な佇まいで声をかけてくる。 「おう、あれは楽しかったな……久々に俺も酔っ払うまで飲んじまったし」 「……そして、同時に我々の今生の別れの宴ともなりましたが」 「えっと、すみません、いずれ御報告に伺わなきゃとはずっと思っていたんですが……」 まずはここで揃って会えたのは重畳だし、仲間の仇を見る目を向けられたり、恩知らずと罵られるのも覚悟していただけに、思ったより穏やかな反応だったのは安堵したけれど、ただ熾天使(セラフィム)らしからぬ覇気も感じられないのは、やっぱり相当なショックを受けていたのを感じられて言葉も控えめになる。 「おっせーよ。……と言いてぇトコロだが、まぁやっぱツラは出しづれぇわな?」 「一番憤慨していたのはガブリエルでしたかね?落ち込んでいるなら慰めてあげたいし、言ってあげたいコトだって沢山あるのにって」 「……ええ、ガブリエル様とエンジェリウムでお会いする機会がありまして、それでお二方にも顔を出しときなさいと言われて来たんですけど」 「……なるほど。あいつもあいつでお節介よな」 「とはいえ、確かに我々の間で蟠りを残したままというのも良くはありませんが……」 それから、会話の流れがふと途切れたところで、揃って無言のまま何もない上の空へ向けて遠い目を向けるお二方。 「……あの、もしかして皆さんあれからずっとそんな調子で?」 勿論、心情は分かるとしても、ガブリエル様が以前と変わらぬままで少し安心していたのに対して、男性陣の方が思ったより深刻みたいだった。 「それでも、やるこたちゃんとやってるから心配すんな。……ただ、俺たちは四人で一つの熾天使(セラフィム)だったから、やっぱ手足をもがれた様な気分にはなっちまう」 ともあれ、それを見て苦笑いを浮かべながら遠慮がちに水を向ける私に、ウリエル様はため息混じりにお気持ちをそのまま表明してきた後で……。 「ああワリぃ、だからって優奈を責める謂れはこれっぽっちもねぇ。むしろ、残された者としてアイツに代わって褒めてやらなきゃならねぇくらいだ」 思わず何も言えずに俯いてしまった私へ、すぐにフォローを入れてくるウリエル様。 「ええ。いつしかこの場で完遂を誓い合った御剣プロジェクトは、貴女の手でミカエルが討たれるコトによって達成されるものでしたから」 「んじゃやっぱり、皆さんも最初からそのつもりで……?」 「おうよ。だから最期の戦いの邪魔は一切しなかったろうが?」 「ええ、警備の智天使(ケルビム)達にも見ぬふりをする様に命じていましたし」 「……ああ、確かに誰の妨害も入らなかったのは不思議だったんですけど、ホントに仲睦まじいですよね皆さん……」 なにやら今更ながらミカエル様が羨ましくもあったり、またこれだけの盟友に恵まれていながら、それでも躊躇いなく全てを捨ててしまえるんだと、私も止められない想いは理解した上で付き合ったとはいえ、少しばかり咎めたくもなってきたりして。 「……あんな、優奈。ミカエルは天使軍の頂に立った後こそ鉄の女みたく振舞う様になっちまったが、元来はもっと人懐っこくて、誰よりも慕っていたルシフェル隊長の後ろをいつも甲斐甲斐しく追いかけてた奴だったんだよ」 「ええ、纏わり付きすぎて任務の邪魔と怒られていた事も少なくなかったですが、それでも改める様子はありませんでしたよね?」 すると、そんな私の心情を読んだわけでもないのだろうけど、続けてウリエル様達がこちらへ視線を向けないまま懐かしむ様に思い出話を向けてくる。 「……あー、何となくわかります、それ……」 言われて振り返ってみれば、私にもそんな部分は垣間見せてくれていたし。 「ですから、彼女はこれでようやく解放された訳ですね。……ある意味、羨ましい話です」 「ああ、だからこそアイツのやりたい様にやらせてやりたかったし、これで良かったのは間違いねぇとも信じているが……いざその時を迎えると、な」 そして、腕組みしつつしみじみと独り言の様に呟くウリエル様。 (なるほどねー……) ここでお話が一周してしまったけれど、どうやらこんな調子で自問自答の堂々巡りを繰り返しているらしかった。 ただ……。 「しかし、貴方にそんな繊細な感情があったのは意外でしたが」 「直情型のバカほど簡単に傷が付くんだよ、よく覚えとけ」 「あはは……まぁ、私もあれからそんな状態が続いてましたし」 「だが、いつまでもそういうワケにはいくまいよ?」 「ですよねぇ……何やら時代が動き始めた気配に新しいお仕事も請け負ったコトですし、そろそろ切り替えなきゃなとは思っているんですが」 そこからループを断ち切ろうとするも先に言われてしまい、苦笑い交じりに頷く私。 おそらく、それはここにいるお二方も同じなんだろうけれど、果たしてどうしたものやら。 「……それでだ、この靄を晴らす為にこれから少しだけ付き合っちゃくれねぇか?」 すると、そんな私にウリエル様は気負いの無い口ぶりで水を向けてきたかと思うと……。 「はい……?」 * 「……さて、悪ぃな。本来はこんなコトしてるヒマなんざねぇだろうによ」 「いえ……」 やがて、二つ返事で応じた私はウリエル様のトレーニングルームへと連れられ、そこに設置されている過去に幾度も稽古をつけてもらってきた仮想バトル装置へラファエル様も含めた三人で入り込むと、かつてミカエル様との決戦を演じたエデンの塔の前で各々が翼を全開に広げつつ対峙していた。 「今更、いや今だからこそ本心を告白すればな優奈、俺はミカエルを守りたかった。……だから、出来ればあの決戦の夜は前座として、まずは俺がお前に挑みたかったんだ」 「…………」 「だが、それは許されざる叛逆者が増える事を意味するし、何よりアイツから遺言として手出しはしない様に懇願されていたからな」 「ええ、併せてどうかくれぐれも後のコトは頼みます、とお願いもされましたが」 「ホント、何だかんだで身勝手でしたよね……まぁ私の場合、気付いた時には選択の余地などすべて塞がれていましたが」 ただ、その遺言とそれを守った仲間たちのお陰で大きな混乱は起こらず、あの夜の出来事自体もどうにか隠蔽出来たのだけど。 「……そこでだ、今さら意味なんざねぇのは承知の上だが、俺なりのケジメとしてここで改めてオマエに挑ませてくれ」 ともあれ、肩を竦めて苦笑いを見せる私へウリエル様は言葉通りに恨みや怒りなどは感じられない純粋な真顔で勝負を挑んでくると、いきなり本気モードに入った眼力から鋭い殺気の孕んだ強烈な威圧がこちらへ放たれてきた。 「…………っ」 この、ミカエル様亡き今は天使軍で比類なきと称して差し支えのない戦闘力を有する熾天使ウリエル様の威圧を受けるのはこれで三度目。 一度目は足が竦んで二度目はどうにか動いて挑みかかることが出来て……三度目の今は相手の本気こそ伝わるとしても、これから起こる戦いに向けて何の障害にもなり得ていなかった。 「かつては指先一つで消し飛ばされていたお前が、試練を乗り越え神の片腕としての翼を受け取り、とうとうミカエルを斃すまでに昇華させたそのチカラ……ぶっちゃけどれ程強くなったのか、この俺にも見せてくれよな、御剣優奈?」 「幸い、この装置は何処にも繋がっていませんから、戯れの痕跡も残りませんし」 「なるほど……ラファエル様も?」 「私は、ただ見届けましょう。ウリエルが敗れるのであれば同じ結果ですし、天使軍の頂点たる熾天使(セラフィム)の戦いに取り囲んでの二人がかりはありませんので」 「……了解しました。では、いつでもいいですよ?」 いずれにせよ、ここに立っている以上は既に了承しているも同然だし、私にとっても付けておくべき決着の一つだろう。 そこで私は特に気負いも迷うこともなく、先に断罪の剣を抜いて応じてみせた。 「…………」 確かに、この勝負はお互いに恨みもなければ得るものもなく、それ故に意味すらない。 「すまねぇな。……ただ、大事な次の任務の前だ。どっちが勝とうが負けようが……」 「ええ、お互い手短に片付けましょうね、ウリエル様……?」 (……いや、意味はあるかな?お互いに) 同じ敬愛していた人への想いの残滓を未だ引きずったまま、行き場の無い鬱憤を抱えてしまった不器用者同士……ね。 「へっ、二の太刀なんぞいらねぇよ!でりゃあああああああッッ」 そして、こちらが短期決戦に応じるやウリエル様は一撃必殺を宣言してこちらへ真っ直ぐに距離を詰めつつ背中の真っ赤な大剣を抜き放つと、かつて私やジョゼッタさんを瞬時に焼き払った“神の炎”を纏った強烈な渾身の一撃を振り下ろし……。 「…………ッッ」 それを真正面から受け止めた私の断罪の剣と交叉すると、甲高い音が鳴り響くと同時に相手の刀身から紅蓮の炎が猛り狂ってゆく。 (二段攻撃、か……) ……おそらく、私の翼でなければ力負けして武器ごと真っ二つか、よしんば受け止められたとしても、あっという間に包み込んできた劫火で焼き尽くされてしまったろうけれど……。 「……やるじゃねーか、優奈。いや、神の“御剣”ならこの程度は当たり前か」 「勝手にハードル上げられていますけど、まぁ確かにこんな程度じゃミカエル様が私に放った本気の一撃には程遠いですよ……?!はぁぁ……ッッ」 それから、予告通りに初手から打ち込まれた必殺の一撃を平然と受け止められてニヤリと顔を歪めた天界の戦士長へ、私は遠慮も容赦も無い言葉を返してやると、そのまま翼の飛翔能力にブーストをかけて押し戻し、逆に反撃の連撃を叩き込んで強引に攻守交代させてやる。 「ぐっ?!へ、言ってくれるぜ……それに、剣のウデも比べ物にならねぇ程に鋭くなってやがら」 「……お陰様で、短い間で結構な修羅場を潜り抜けてきましたから……!」 あとは、仲間に腕のいい剣士がいたのが幸いして鍛えられたのもあるけれど。 「お陰様だと?……ハッ、俺がお前に何かしてやったか……っ?!」 「ミカエル様にも似たコト言われましたけど、みなさんご謙遜を……っ!」 「アイツも言ったろうが、お前に秘められていた素質が開花したに過ぎねぇよ。課された試練に揉まれながらも魂の輝きを鈍らせるコトなく昇華させ切ったんだからな……!」 「一応、途中で歪んでしまいそうになった時も一度や二度くらいはありましたけどねー。まぁそれもお陰様で……っ」 「……ッ!へへ……御剣候補のお前にかけられた期待は俺なんかよりも遥かに上をいくハズだと言った覚えはあるが、マジでこうも軽々しく乗り越えて行きやがるとはな?だがこれで……」 しかし、このまま押し切れないのは前提に相手のカウンターを警戒しつつ連撃を続ける中で、自虐的な笑みを見せるウリエル様からビリビリと痺れる様な戦意が薄れてゆこうとしているのに気付く。 (え……?) 確かに、お互い手短に片付けようとは言ったけど、まさかこのまま……? 「…………っ」 「……ちょっと、自分から挑んでおいてもう白旗ですか?これじゃ私の方がガッカリですよ」 そこで、早々と防戦一方に追い込まれたウリエル様がらしくもない弱さを見せてきたのが引っかかった私は、攻撃の手を止めて敢えて挑発してやる。 「な、なんだと……?!」 「ほら、少し位なら手加減だってしてあげますから、いつまでも呆けてないで打って来て下さいよ。ケジメとかなんとか言ったって、結局はただ私と殴り合いをして鬱憤を晴らしたいだけなんでしょう?」 ここまで言ってしまうのは私の方も心苦しいものの、多分このままウリエル様にとっても何の救いにもならないだろうから……。 「……優奈てめぇ、人の気も知らねぇで言いたいコトいいやがって……」 すると、効果はてきめんだったか、そんな私の挑発にウリエル様は大剣を構えたままその場でわなわなと震え始めたかと思うと……。 「ッッ、たりめぇだ!何せ、てめえはミカエルの仇なんだからな……ッッ!!」 「……ぐ……っ?!」 再び戦場全体を震わせる程の威圧が復活して獣の咆哮の様な叫びを向けると同時に、こちらへ力任せに振りかぶり斬りかかってきた。 「本当はな!そのツラを見せやがった時にいきなりぶん殴りたかったのを我慢してやってたんだよ俺は!それをてめぇは……ッッ」 「……く……ッッ」 え、もしかして……。 「あの……今更気付いたんですけど、ウリエル様ってミカエル様のこと……ぐっ?!」 そこで、改めてミカエル様のカタキと言われてショックを覚えるよりも乙女の感性が反応した私はそのまま口から出てしまったものの、言い終える前に強烈な薙ぎ払いで後方へ吹っ飛ばされつつ遮られてしまった。 「くだらねぇ直感を働かせてんじゃねぇよ。それこそ埒もねぇだろーが!」 「あはは、そーですね……」 確かに、今となってはもう触れちゃいけないモノかもしれない。 ……だけど、やっぱりこの戦いもきちんと決着を付ける他に無いのは分かった。 「ちっ、これ以上余計な墓荒らしされちまう前に、さっさとその口を塞いでやらねぇとな……!」 ともあれ、すっかりと気迫を取り戻したウリエル様は大剣を一旦背中へ納めると……。 「さぁ、その目をかっぽじいてとくと見やがれ、おおおおおおオオオオオオッッ!!!!」 「…………っ?!」 両手を突き上げ咆哮するウリエル様を中心に猛り狂った金色に輝く炎が巨大な翼を形成し、やがて天使と不死鳥が合わさった様な神々しい姿へと収束していった。 「……っっ、これが、ウリエル様の切り札……!?」 それは、お互いすぐには手の届かない距離に立つこの場からも、気を抜けば一瞬で焼き尽くされてしまいそうな凄まじい熱量。 ……しかも、確かに炎であって通常の火炎とは異なる質のものみたいである。 「……おうよ、こいつが正真正銘の俺の本気、真の“神の炎”ってヤツだ。神の片腕(メタトロン)だろうが軽く受け流せるモンじゃねぇぞ?!」 そして、太陽の化身も同然となったウリエル様はそれだけ告げるや、熱風と共に私を一飲みする勢いで一直線に襲い掛かってきた。 確かに、あれは真空の断層で無効に出来る類のものじゃない、みたいだけど……。 (……神の翼よ、断罪の剣よ……我が意思に応えて……) 対して、私は敢えてその場から動かず、メタトロンの翼へ勝負を決める一撃の為の神霊力を静かに溜め込んでゆく。 ……確かに、あれだけの熱量ならマトモに喰らうどころか近付かれるだけでも危険だけど、一旦逃げたところでそこから形勢逆転に持ち込むのは難しいだろうし、何より“愛”の為に受けて立たなきゃならない勝負だから。 (たぶん、あの炎の化身にも実体にあたる部分はあるはず、よね?) あれはウリエル様がこちらへ放った神術じゃなくて、彼自身が化したモノなのだから。 「さぁ、喰らいやがれエエエエエエエエ!!」 (“主”よ、負けられない戦いの加護を御剣に……!) そこで、私は両手で握り締めた断罪の剣に祈りを込めつつ心を研ぎ澄ましていき……。 「…………っ、そこ……ッッ!!」 程なくして、触れてもいないのに衣類が発火したのにも構わず、迫り来る業炎の中心部にウリエル様の気配がはっきりと見えた私は、一点突破を期してこちらから全力の神速で突撃をかける。 「なん……だとッ?!」 「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッッ!!」 それから、こちらも二十四枚の翼をフル稼働させて全力で起こした、近付く全てを吹き飛ばす風圧で灼熱を防ぎつつ、そのまま躊躇いなく太陽の化身の“コア”の喉元へと迫ると、回転を付けて渾身の一撃を薙ぎ払った。 「…………ッッ」 「…………っっ」 そして……。 「……別に、遠慮なくぶった切ってくれて良かったんだぜ?優奈。その方が……」 「いーえ、仮想の戦いだろうが、大恩人をこの手にかけるのはもうこりごりですから」 やがて、動きを止めた炎が散り去り静けさが戻ったところで、喉元に断罪の剣を押し当てられたウリエル様が自棄っぱちに切り出したものの、素っ気なく返して再び後方へ下がる私。 ……もちろん口にはしないけれど、最後の一撃を喰らわせる直前にミカエル様を討った時の感触が蘇ってしまったし。 「ただ、しっかり真正面からは受け止めましたよ?文字通りに火傷しそうでしたけど」 「ああ、ありがとよ……だが、そんな調子でこれから“御剣”が務まるのか?お前さんは断罪者となるにはあまりにも……」 「……まぁ、何とかなると思います。それより、恨みっこなしで思いっきり打ち合ったお陰で何だか気分も晴れてきましたし、お陰様でこれからすっきりした気持ちで里帰り出来そうですよ。ありがとうございましたー」 ともあれ、激しい戦いの中でいつしか憑き物が落ちた様な清々しさを感じてきたのもあり、納刀した後で感謝を述べつつ深々と頭を下げる私。 やっぱり、言葉だけじゃすっきり出来ないこともあるみたいである。 「……やれやれ、結局お前まで天界を離れちまうのか。また更に寂しくなるな」 「ですね……。だからといって有閑という訳でもありませんが、張り合いは今より更に無くなってしまうかもしれません」 すると、同じ心地だったのか穏やかな表情に戻ったウリエル様が肩を竦めて残念がると、続けて見届けていたラファエル様も別れを惜しんでくれた。 「えへへ、んじゃお二方も試しに守護天使とかやってみます?」 「あん?……何を馬鹿なコトを……いや、案外それも悪くはねぇのか……?」 「ですね……。無論、普段のお役目との調整は必要ですが、我々もここらで天使として原点回帰してみるのも悪くないかもしれません」 (ありゃ、これはこれは……?) そこで、とりあえず物は試しでウリエル様達にも守護天使を薦めてみると、案外満更でもなさそうな反応が返ってきて、思わず口元が緩んでしまう私。 またこれは後でエルやらザフキエルちゃんから、無責任に誰彼構わず勧誘してるんじゃないと怒られそうだけど……。 (んふふー♪でもしーらない) 次のページへ 前のページへ 戻る |