天使の姉は愛を貫く その2
第二章 熾天使
「……さて、そろそろ到着ですよ」 「うわぁ、なんか凄そうな地区(エリア)へ来ちゃってるような……?」 やがて、手を引かれる様にして中枢都市上空を通過してゆく中で、ふと速度を緩めたミカエル様に促された視界の先には、何やら高級そうな住居が立ち並ぶ広大な居住区が映ってきた。 大体が白系統の色で統一された、無機質で少し変わったアート作品みたいな意匠の広大な住居が建ち並び、プライベートプールやテラスが数多く見える海外リゾート地の様な街並みは、いかにもな方たちが住まう場所っぽい。 「ここは、天使軍の幹部や評議会のメンバーといった、天界の要人達が数多く暮らしている居住区です。明日から通うエンジェリウムとは少々距離はありますが、飛行の基礎訓練も兼ねていると思えば、それ程の苦にもならないでしょう」 「……いやいや、ホントにこれからこんなトコロに住むんですか?私」 千尋の谷の試練をどうにか乗り越えた先に待っていたのがセレブ用の住宅地だなんて、ご褒美と解釈するには何だか話がうますぎる様な……。 「当然でしょう?これでも天使軍の総大将ですから」 「いえ、ミカエル様の話じゃなくて、私が……って、まさか」 「……どうやら、察しも悪くはない様ですね。“主”の御意向により、これから一人前の天使として巣立つまでは私の家から通ってもらいます」 そこで、何やらイヤな予感に言葉を止めたところで、ミカエル様が淡々と的中を告げてくる。 「え、えええ……あの、エンジェリウムに学生寮とかはないんですか?」 「勿論ありますけど、今の時期に空き部屋などあるワケがないでしょう?」 そして更に、「只でさえ毎年希望者多数で抽選になるのですから」と、丁寧なダメ押しを添えてくるミカエル様。 「けど、だからって学園長のお宅に居候しろとか……」 「これも、すべては修行の一環。今更泣き言は聞きませんので」 「あう……そもそも、ミカエル様は迷惑じゃないんですか?」 「“主”の御意には躊躇い無く従う。これは天使としての絶対原則ですから、そこに迷いも不平も感じる余地はありませんよ?」 「…………」 「いずれにせよ、私には貴女の補習を行う様にも申し付けられていますから、卒業までは常に気の抜けない毎日となるでしょうが、覚悟しておくように」 「はぁい……」 (要するに、悠々自適が欲しければさっさと一人前の天使になれってコトですか……) ……ここは大人しく気を引き締めて、心の平穏と愛奈ちゃんの為にも頑張ろう。 「それで、理事長先生……いえ、ミカエル様のお宅はどちらに?」 「心配せずとも、一度見れば忘れる事の無い目立つ場所です。……ほら、ここからでもはっきりと見えるでしょう?」 「見えるって……もしかしてあの百階くらいはありそうな……」 ともあれ、気を取り直して改めて向かう先を尋ねた私にミカエル様が指し示してきたのは、ここからもう少し飛んだ先の街の中心部に一際高く聳えている、何やら仰々しいデザインの高層ビルだった。 「ええ。あれは熾天使の住まう、通称でセラフィム・タワーと呼ばれる集合型の住居。……尤も、我々が使用しているのは最上階のみですが」 「最上階のみって、つまり熾天使(セラフィム)の皆様方がワンフロアに?」 何だか、慎ましいのか贅沢なのか良く分からない使い方だけど。 「ええ、それでも充分過ぎる広さですし、これも“主”の御意向ですから」 「あはは、思ったより庶民感覚なんですね?ミカエル様も」 それから、会話しているうちにセラフィム・タワーの頂上付近まで近付くと、最上階のそれぞれ四方に大きな空中テラスが伸びているのが見えてくる。 (いや、前言撤回……) こんな超一等地の高層タワー最上階のテラス付き物件で庶民とか言ってたら、それこそ色んな方面で怒られそうだし。 (でも、私と愛奈ちゃんの愛の巣には丁度よさそうよねー……) お互いに成人した後に、満天の星空の広がるあの空中テラスに二人きりで、ちょっと高級なシャンパンの注がれたグラスを重ね合ったりして……。 「……では、そろそろ降下するので着地準備を。やり方の説明は?」 「えっ?!あ、いえ……何となく出来る気がしますんで」 ……と、妄想に耽り始めたところで不意に降下を告げられて我に返った私は、眼下に見える着地点を示す“印”を確認しつつ小さく頷き返す。 「よろしい。……どうやら、翼を扱う資質も悪くないみたいね」 「あはは、お陰様で……」 しかし、高層ビルにお邪魔する時に地上の入り口ではなくて屋上で薄っすらと発光しているヘリポートみたいな発着場からというのも奇妙な感覚だけど、これも天使らしいと言えばらしいのかもしれない。 * 「お帰りなさいませー、ミカエル様」 「おかえりなさいませー♪」 (わ……?) やがて、ミカエル様に倣って無事に発着場の円内へ着地すると、左右から六枚の翼を纏った二人一組の可愛らしい女の子の姿をした、おそらく双子の天使さん達が出迎えの声をハモらせながら近寄ってくるや、こちらへ恭しく頭を下げてくる。 「ご苦労様。予定通りに本日より暫くの間、新しい住人を迎えますから宜しく」 「まぁ、暫くとなるのか当分の間となるかは分かりませんけど、お世話になります」 「かしこまりましたー♪ようこそ、セラフィム・タワーへ」 「おはなしはきいてますー♪どうぞどうぞー」 ともあれ、そんな出迎え二人にミカエル様が簡潔に私を紹介すると、今度はこちらを向いてきゃぴきゃぴとした声で歓迎してくれた。 「え、えっと……」 「とりあえず、まずはあなた達から簡単に自己紹介したらどうかしら?」 「はーい♪わたしたちはここの門番を任されてますケルビムですー」 「こんしゅうは、わたしたちナンバー9と8が担当してますー。いつかふたりでエデンの塔の門番になるのが夢ですー♪」 「あはは、私は天衣優奈です。どうぞよろしくー」 それから、ミカエル様から自己紹介を促されてようやく何者かが分かった後で、釣られる様にして笑みを返しつつ名乗る私。 一応、ケルビムという名前も何となく生前から聞いたことはあったし、まぁ天使軍のトップのお住まいなのだから、天使が門番を務めるのに違和感はないんだけど……。 (いやでも、このコたちって……) 「とりあえず、理解したなら行きますよ?予定よりやや時間も押していますし」 「ああ、はい……」 ともあれ、それ以上会話が続く前にミカエル様から促され、慌てて先に歩き始めた背中を追いかける私。 「では、ごゆっくりおくつろぎくださいー♪」 「くださいー♪」 (おくつろぎ、か……) まぁ間違いなく、私に向けられた言葉じゃない、よね。 「……それにしても、随分と若くて可愛らしい門番さん達ですね?」 その後、屋上から最上階フロアへ続く螺旋階段を降りる途中で、本人たちの目の前で言葉にするのを避けていた素朴な疑問を向けてみる私。 見た感じ、中学生の愛奈ちゃんより年下っぽいどころか、下手したら小学生くらいにも見えたけど、天界って児童福祉法とかないのかしらん? 「ま、見た目はね。それで察しなさい」 「あー、なるほど……」 しかし、それに対して素っ気なく返されたのは、実に分かりやすい説明だった。 「ちなみにあのコ達は、主に天界の主要施設の警備を任されている上級第二位のエリートだから、今の貴方じゃ彼女の前では塵芥も同然よ?」 「……まぁ、見た目で判断するなと言われたばかりですから大袈裟には驚きませんけど、とりあえず頭に叩き込んでおいた方がいいですかね?」 「勿論、必要な知識のうちではあるけれど、無秩序に入れても引き出す時に困るから、やっぱり改めて教える時まで一旦忘れて頂戴」 「あー、分かります。効率悪いですもんねー」 学習して覚えた知識は芋づる式に連続して浮かんでくるものだから、勉強する内容は最初にきっちり体系付けしておくに越したことはない。 ただ、飽きっぽくて何かをするにも順番じゃなくてつまみ食いだった愛奈ちゃんには、いくら言っても実践してくれなかったけれど。 「……どうやら、知性も悪くはないみたいね。円滑に会話が進んで何より」 「えへへ、もしかしたら相性もいいのかもしれませんねー?私達」 ともあれ、そこでまた背中越しにミカエル様から素っ気なくもお褒めの言葉を頂いたのに気をよくした私が、自然な流れで水を向けてみるものの……。 「…………」 結果は調子に乗るなと咎められこそしなかったけれど、無言で黙殺されてしまった。 (うん、まぁそんな簡単にはいかないか……) ただ願わくば、一緒に住む以上は出来るだけ早めに意気投合しておきたいところなんだけど……。 「とにかく、このセラフィム・タワーの警備はここの中層に住む上級天使達が交代で務めていて、貴女に関するコトは既に話を通してあるので、シフトが変わって別の誰かがいたとしても逐一説明する必要はありません」 「……なるほど、そーいうコトですか。了解です」 まぁ、さすがにこんなでっかい建物に住人は最上階の四人だけってワケもないんだけど、エリート層の天使たちの寮も兼ねているわけだ。 ……つまり、いずれわたしも上級天使になる日が来れば、居候ではなくて正式な住人としてこのセラフィム・タワーの何処かにお部屋を借りるコトになるのかもしれない、けど。 (ん、四人……?) 「あ、そういえば、ミカエル様って……」 「……お、帰ってきたね。やっほー、ミカエルお疲れー♪」 と、そこで不意に頭に浮かんだ質問を続けようとした私だったものの、程なくして薄暗くて狭い通路から柔らかい照明に照らされたロビーまで降りるや、螺旋階段を囲むように備え付けられている真っ赤なソファーから私と同じ……いや、むしろもっと若い年代に見える美少女が立ち上がってにこやかに手を振ってくると、続けて居合わせていた正反対な風貌の男性二人も腰を上げてこちらを囲んできた。 「別に出迎えを頼んだ覚えは無いけれど、わざわざ待っていてくれたのかしら?」 「……ええ、頼まれた覚えもありませんが、自分から動かなくてはいつ顔合わせになるのやら、ですし」 「だな。今更水くせぇことはナシだぜ、ミカエル?」 「……そうね。では改めてご苦労様」 そして、それを見たミカエル様は最初は素っ気ない反応を見せたものの、長い髪と端正な顔立ちから気品や知性を惜しげもなく発している長身で華奢な紳士と、それとは対照的に鍛え上げられた筋肉に包まれた肉体を持つ大柄でワイルドな顔立ちの男性の二人から好意に満ちた笑みを受け、今度は幾分だけ表情を緩めてお礼を述べる。 ……どうやらミカエル様のお仲間、みたいだけど。 「ま、あたしは共同理事長だから、どの道明日の入学の時に会うんだけど、人間界にも滅多にいない上玉と聞けばいてもたっても、ねぇ?」 「……だが、強そうにゃ見えねぇな。ホントにそいつが次の“御剣”候補なのかよ?」 「みつるぎ……?」 そういえば、ここへ飛ばされてきた時も何やら聞いた覚えがあるけれど……。 「でも、期待してたよりゼンゼン可愛いコじゃないー。あたしは俄然ヤる気出てきた♪」 ともあれ、それからお三方の注視が私の方へ向きつつ、その中で最も小柄で可愛らしい姿の天使様が屈託の無い笑みで楽しそうに続けてくる。 「それに、外見で侮ったのを後悔して散ってゆく敗者は数え切れませんが、貴方もそのうちの一人でしたか?」 「バカ野郎、俺を誰だと思ってやがる?!大体、強さってのは見てくれなんかじゃねぇが、その小娘からはアイツみてぇな殺気がだな……」 (えっと……) 「ほら、貴方達……態々出迎えてくれたのはいいけれど、肝心の歓迎相手を蔑ろにしていつまで内輪で盛り上がっているつもりなのかしら?」 その後、やっぱりこちらを置いてけぼりで途方に暮れかけていたところで、つれない口調で私の気持ちを代弁してくれるミカエル様。 ……うんまぁ、仲が良さそうってのは伝わって来てるんだけどね。 「おお、わりぃわりぃ。で、俺達はだな……」 「こっちのゴツいのがウリエルでー、隣のスカしちゃってるのがラファエルでー、そしてこの聡明でキュートなあたしがガブリエルちゃん♪ミカエルと一緒にエンジェリウムの理事長もやってるから、これからよろしくね?優奈ちゃん」 それから、大柄の男性が素直に頭を掻きつつ自己紹介を始めようとしたものの、愛奈ちゃんくらいの背丈の女の子があざと可愛らしいポーズを決めつつ割り込んで、さらりと全員分の紹介を簡単に済ませてしまった。 「……えらく端折りやがったな、おい」 「まったく、我らの中で最年長者ともあろう者があの様な自己紹介とは、恥という感情は無いのでしょうかね?」 「て、天使に歳はかんけーないでしょ、歳は……っっ」 「あ、あはは、どうぞよろしく……えっと、つまり皆さんがあの四大熾天使(セラフィム)様たちで……?」 ミカエル様と同じく、どれもこれも生前に聞いたことのある名前ばかりだし。 「ええ。大体流れで察しているかと思いましたが?」 「あーいえ、皆さんの背中に翼が無かったので名乗っていただけるまでは全然……って、あれそういえばミカエル様の翼も?」 「……やはり、幾分抜けている一面があるのは否めませんが、まぁそういうコトです」 ともあれ、苦笑い交じりに小さく頭を下げつつミカエル様へちらりと確認を向けると、何を今更といった反応の後で、今度は心を読んだかの様に冷淡に頷いてくる。 (むぅ……) いや、確かに呼吸は合っているとは思うんだけど、なんていうかこうもっと……。 「もー、優奈ちゃんはまだ知らないコトだらけなんだから、もっと優しくしてあげなきゃダメだよ?何なら、最初はあたしが預かってイロイロ仕込んであげよっか?んふっ♪」 (う……) すると、今度は見た目によらず最年長らしいガブリエル様が諭す様に私の気持ちを代弁してくれたものの、その後に向けられた含みを持たせた笑みに背筋が一瞬ぞくっときたりして。 「いや、ガブリエルてめぇだけはダメだ!……って、とにかくだ。お前が一日でも早く一人前の天使として独り立ちする為、ミカエルだけじゃなくここにいる全員で叩き込むコトになってっから、ま覚悟しておくんだな」 「これから圧し掛かる期待の重さに潰れてしまうかもしれませんが、その時はそれまでというコトで」 「んふふー、そりゃもう寄ってたかってスゴいコトになっちゃうかもよー?」 「あ、あはは……まぁ、お手柔らかに」 ただ、覚悟しろって言葉もいい加減聞き慣れてきた頃だから、やっぱり苦笑い交じりに頷くしかないんだけどね。 「ふむ、ガブリエルに釘を刺されてしまいましたし、保証はしませんが善処はしましょう」 「……ま、何とかなると思います。何となくですけど」 だってもう、道は選んでしまったのだから。 「よろしい。……では、兼ねてよりの“主”との約束に従い、これより秘匿コード“御剣”を遂行致しましょう。それに伴い、ここで我らが誓いの儀を」 それから、私の曖昧ながら決意をこめた返事を汲んだミカエル様が神妙に頷いた後でそう宣言すると、他の熾天使様達も真顔で輪を作り……。 「うん。少々慌ただしくなりそうだけど、いつもの様に力を合わせれば大丈夫だよ、きっと」 「……しっかし、皮肉なもんだな。お前自身に次の御剣を育てろとは、心中察するぜミカエル」 「いえ、これも私に課せられた義務であり、避けられぬ宿命……いえ“私達”、かしら?」 「その通り。これは他でも無い我らへ課された最後の後始末、です」 その後、各々が何やら意味深な言葉を交わしつつ、その中心へ手を伸ばし、互いの手を重ね合わせてゆく。 「…………」 それを見て、自分も加わった方がいいのかな?と思いながら、とても入り込めない空気にただ傍観することしか出来なかった私は、独り心の中で誓いを立てていた。 (愛奈ちゃん……私はまだ、貴女のおねぇちゃんだから……) ……だから、今は辛い日々を送っているかもだけど、どうか願いが叶うその時まで、私の愛奈ちゃんで居続けて。 * 「……さ、どうぞお入りなさい」 「では、お邪魔しまーす……」 やがて、ひたすら置いてけぼりだった顔合わせも終わり、中央のロビーから四等分に区切られた物件の一つの前まで連れられると、シンプルなデザインながら高級感の漂う重厚な玄関ドアを自ら開けたミカエル様に招き入れられ、私は隠しきれない緊張感を胸に軽く頭を下げていかにも高級そうな石造りの綺麗な玄関へ続いてゆく。 (あ、まさかの日本式……?) ちなみに、その広い玄関の奥は敷かれた絨毯の上にスリッパが並べられた段差になっていて、ここで靴を脱いで上がるスタイルだったのは、私にとっては何だかそれだけでホッとさせられる朗報だった。 「ええ、どうぞ。……ただ、そのお邪魔しますは本日限り。一切の遠慮は無用で好きに使って構わないから、新しい環境に早く順応して頂戴」 「あはは、善処します……」 ……ただ、お気遣いは有難いとしても、その先に広がるうちの実家とは似ても似つかない、テレビで見た海外リゾート地の最高級ホテルみたいな間取りの風景を見ると、明日からここへナチュラルに「ただいま」を言って戻って来られる自信はまだ無いし、それに……。 「勿論、自習と寝泊まりする為の個室も用意してあるから安心なさい。私も忙しい身だし、常に監視の目を光らせているつもりもないから」 「はい、ありがとうございます……」 「あと、貴女が先程ドアを潜った時点で認証(アクティベーション)手続きは完了しているから、明日からは勝手に出入りして構わないわ。どの道、帰りの時間は合わないし当面は門限も無し。……ただ、貴女の自主性次第では今後再考するかもしれないけれど」 「ええ、心得ました……。けど……」 「どうかした?他に不明な点があれば今のうちに質問しておいて」 「……あの、ミカエル様って普段は一人でお住まいだったんですか?」 それから、脱いだ靴を揃えて敷居を跨いだ後に足を止めて見回し続けているうち、通路の奥の方へ先に進みかけたミカエル様が振り返って声をかけてきたのを受け、ぽつりと気になっていたことをそのまま尋ねる私。 これだけ広いのに入った時から冷たく澄んだ静けさが漂っていて、私も静寂自体は決して嫌いじゃないけれど、いくらなんでも寂し過ぎるような。 「ええ、ハウスキーパー達は雇っているけれど、基本は私が出かけている間に全て済ませているから、顔を合わせる機会は殆ど無いかしら?」 すると、ミカエル様はそんな私にそう言って、「おそらく、貴女もそうなると思うから気にしなくていいわ」とも続けてきたものの……。 「いえ、そうじゃなくて、ですね……」 「なにか?」 「あの、さっき聞きそびれたんですけど、ミカエル様って恋人とかいらっしゃらないんですか?」 「…………っ」 イマイチ言葉の意図を理解してもらえていないのもあって、先ほど螺旋階段を降りる途中に尋ねそびれていた質問を続けると、ミカエル様は返事の前に一瞬だけ目を丸くさせながら硬直してしまった。 「……また、不意打ちで踏み込んだ質問してくるのね。さすがの私も驚いたわ」 「あーいえ、これから居候させて頂くにあたって、お邪魔になっていたら申し訳ないかなと気になってまして……」 失礼は承知ながら、私としてはそれだけの意図に過ぎなかったのだけど……。 「生憎だけど、天使は恋愛禁止よ」 すぐに、回答の代わりに背を向けて身も蓋もない言葉を投げ返されてしまった。 「え?でも……」 「これは問答の余地など無い定められたルールだから、私の最初の教えとして肝に銘じておきなさい」 恋愛禁止、かぁ……。 「分かりました……でもそれじゃ、天使の皆さんって現役の間は独身なんですか?」 「……とはいえ、実態として一切の逃げ道も用意されないワケじゃないけれど、少なくとも天使軍の長である我々は厳格に遵守が求められているし、おそらく貴女もいずれはそうなるでしょうね」 「…………」 私も厳格に求められる中に入っているのは気になるとして、まずはその逃げ道というのも聞いておきたいトコロですが……。 「なんにせよ、明日からは余計なコトなど考える暇も無くなるだろうし、恋だの愛だのは一旦すっぱりと忘れてしまった方がいいわ」 「あはは、まずは一人前の天使になってからというコトですね?了解しました」 ……ただ生憎、どんなに多忙な日々だろうが、私が愛奈ちゃんを忘れる日など間違いなく一日たりとも無いはず。 でなければ、今私がこうして二周目の人(?)生を歩み始めた理由が無くなってしまうのだから。 * 「……わぁ、ホントにここ使っていいんですか?」 やがて、まずはミカエル様の寝室と廊下で隔てた自分が寝泊まりする為の客室へ案内されるや、思わず意味の無い念押しを向けてしまう私。 「ええ、急ごしらえで必要そうなものを最低限は揃えさせたけれど、もし足りないものがあれば遠慮なく申請してくれていいから。衣類もまだまだ足りないでしょうし」 生前の私と愛奈ちゃんの部屋を足したよりも広い室内に宛がわれているのは、今すぐ飛び込みたくなる真っ白でふかふかのシーツが敷かれたダブルサイズのベッドに、落ち着いた色合いでどっしりとした広めの木製の机や、教材が整然と敷き詰められた本棚、更に豪華な化粧台やクローゼットと、確かにこれから必要そうなものが過不足なくって感じだけど、調度品の一つ一つがいかにもな高級感の漂うものばかりだし、何より壁際に並ぶ大きなガラスから見下ろす景色が絶景すぎて鼻血が出そう。 「んー、足りないものといえば、利用者の格式ですかねぇ……?」 これが愛奈ちゃんと旅行に来た宿なら一緒にハイテンションではしゃぎまくっていたかもしれないものの、今の自分の立場を考えれば何とも身分不相応で落ち着かない心地に、零れるのは苦笑いばかりだった。 「生憎、貴女に提供出来そうな個室はここしかないし、劣悪な環境で効率が上がるという訳でもないでしょう?無意味な悩みを抱えるくらいなら、しっかりと有効活用して頂戴」 「すみません、ありがとうございます……」 それでも、結局は一日でも早くこの部屋に滞在するのにふさわしい天使になるしかない。 ……尤も、それは私がここから巣立つ時でもあるのだけれど。 「それに、その様な卑下は貴女を見込み選ばれた“主”に対する叛逆行為とも思われかねないから、精々に気を付けなさいな」 「……はー、結構面倒くさいんですね、天使サマって」 「否定はしないわ。……ただ、規則そのものは至って単純だから、自分達も合わせてシンプル思考になればいいだけ」 「…………」 まぁ、シンプルと言えばこの私の行動原理もシンプル極まりないのですが。 「……では、私は一旦部屋に戻っているから、暫くは貴女の好きに巣作りをなさいな。一時間後に夕食の時間にするから、頃合いになったらリビングへいらっしゃい」 「え……ちょっ、夕食って、どうするんですか?」 ともあれ、それから素っ気無くそう続けるや、ミカエル様が背を向けて部屋から出ようとしたのを慌てて引き留める私。 「心配しなくても、ここの下層は商業施設になっていて、いつでもそこからデリバリー可能だから」 「あー、やっぱそうなりますか……えっと、もし良かったら私が作りましょうか?」 そこで、出来合いと聞いて私は衝動的に申し出を向けてみたものの……。 「余計な気遣いは無用よ。貴女にはもっと時間を有効に使ってもらわなきゃならないし、ミッションの達成だけが私への恩返しと心得て頂戴」 しかし、ミカエル様はノータイムで一蹴してしまうと、そのまま振り返ることなくドアを静かに閉めて退出して行ってしまった。 (ん〜……) 当然、私もそれは心得ているつもりなんだけど、話が通じやすいやらにくいのやら。 「まぁ、いいか……」 ともあれ、いつまでもぼんやりとしているワケにもいかない。 ホントにいきなり、明日から天使の養成学校へ編入させられるみたいだし。 「……それにしても、死んでしまった後でも勉強漬けの毎日になろうとはね」 それから、机の上に並べられた筆記用具やまさかの天界にもあった学習用タブレットなど、これから使う用具を確認した後で、続けて隣の横長の本棚に所狭しと並べられた天界や天使に関する教本を前にして呟く私。 まぁ、愛奈ちゃんと違って勉強は嫌いな方でもないから気後れはないとして、これらを突貫で片っ端から頭に叩き込めと言われれば、確かにこれから余計なコトなんて考える暇も無いのかもしれない。 (けど、何かそれだけというのもなぁ……) やっぱ、死後だろうが人間じゃなくなろうが、余裕も楽しみも無い生き方なんてゴメンだよね? * 「……うわぁ、これはまた何ていうか……」 やがて、室内の備品を一つ一つ確認しているうちに夕食の時間が訪れ、自室から解放感たっぷりの広いリビングルームへ出てみると、中央のガラスと白塗りの木で造られた円卓型のテーブルの上には見たこともない御馳走が所狭しと並べられていた。 「あら、口に合いそうもないかしら?」 「合う合わない以前に食べたことないお料理ばかりですが……あの、いつもこんなお食事なんですか?」 夕食時間の直前ぐらいから空腹は感じ始めていたので、胃袋は素直に歓喜しているものの、ただでさえ期待の重さを感じていたところへ更に追い打ちをかけてくる様な景色を前に、私は首を横に振りつつも思わず苦笑いを返してしまう。 「いいえ?むしろ普段は軽く済ませる事が多いけれど、今宵は貴女の歓迎と翼を授かったお祝いを兼ねて特別にね」 「あはは、それは痛み入りますー。とはいえ、二人で食べ切れるか怪しい量ですし、他のセラフィムの方々もお呼びします?」 「いいえ、皆で盛大な宴を催すのは貴女の卒業祝いまで取っておくわ。……とにかく、今宵は二人で飲みましょう?」 「あー、いえ、私は未成年でしたので……」 ともあれ、今日は特別という言葉に何だか安堵しつつ、先にテーブルを囲むソファーへ腰掛けている家主の対面に遠慮がちに座るや、ミカエル様は手元の高そうなお酒のボトルを手に取り、こちらのワイングラスへ向けて伸ばしてきたものの、慌ててそれを引きつつご遠慮させていただく私。 ……いやまぁ、最早そういうのは関係ないのかもしれないけれど、酔っぱらった自分がどうなるのか分からないうちはやっぱり、ね。 「あら、そう?まぁ飲み物は他にも用意してあるから好きなのを選べばいいけれど、とりあえず乾杯しておきましょう」 「了解です。えっと……これでいいかな?」 そして、あっさり引き下がってもらえた後で改めて促され、私は近くの透明の瓶に満たされていた、アルコールの代わりに葡萄の甘い香りが漂う果汁入りのドリンクを注ぐと、ミカエル様は合わせて自分のグラスに真っ赤なワインを八分目辺りまでなみなみと注いでいき……。 (ん?) 「それじゃ、改めて偉大なる我らが“主”と、ミッションの成功を祈って。……これから険しい道のりになるけれど、共に励みましょう」 「ええ、不束者ですがどうぞよろしくお願いします……乾杯」 お互いのグラスを軽く合わせた後で、私が一口含んでいる間にミカエル様はぐびぐびと一気に飲み干してしまった。 (んんん……?) 「は〜……やっぱこれよねぇ……。あ、どうぞ遠慮なく食べて食べて?」 「あ、はい……」 しかも、それからミカエル様は今までとはうって変わって恍惚とした表情を見せると、私に料理を勧めつつ手酌でおかわりのワインを注いでゆく。 (うわぁ……) 「……ん、どうしたの?」 やがて、そのおかわりの一杯も瞬く間に空にしてしまい、その飲みっぷりに思わずフォークを持つ手を止めて見入ってしまう私へ、きょとんとした顔で尋ねてくるミカエル様。 「あー、いえ……ワインお好きなんですねって……」 まぁ、凄く美味しそうに飲んでいるのはいいとして、私が一皿食べているうちにボトルすら空にしてしまいそうな勢いなんですけど。 「ええ、まぁこのぐらいの楽しみでも無いとやってられないというか……はー」 「あはは、それはお疲れ様です……」 なるほど、何気に普段は結構無理をなさっているクチですか、ミカエル様も。 「天使軍の長といってもね、私達も貧乏くじな運命に翻弄されてきたから外野に言われている程いい思いもさせて貰えてないし……って、御剣候補生に何をいきなり愚痴っているのかしら、私……」 「いえいえ、私は自分なりの目当てがあって挑む次第ですので、どうぞお構いなくー」 むしろ、面白くなってきたのでどんどん下さい、そーいうの。 「……正直羨ましいわ、そういった希望を抱けるのは。ただ、天界にも曲者は多いから気を付けなさいよ?」 「ミカエル様も含めて、ですか?」 「ふふ……そうね、その位でなければ熾天使(セラフィム)になんて成れないだろうし」 それから、ワインが程よく回って口調も解れたところで反撃の一太刀を浴びせてみる私に、ミカエル様は自虐の笑みを浮かべて更に追加を注いでゆく。 「…………」 「ほら、そんな事よりどんどん食べて。食事はキッチンの端末からいつでもオーダー出来るから、気に入った料理があれば覚えておいてリピートかければいいわ。代金は後払いだし」 「それじゃ、ミカエル様の普段のお食事もそうやって?」 「勿論そうよ?ここの地下には食材売り場もあるけど、さすがに自分で料理する暇は無いもの」 「あは、暇が無いというよりも億劫なだけだったりして?」 とはいえ、確かにお仕事で疲れた身体で帰宅した後に自炊なんてやってらんないと言われればそれまでなんだけど、だったら……。 「まぁ、そうとも言うかしら?……けど、尚更こんな私の手料理なんて貴女に食べさせるワケにはいかないでしょう?」 「……あのぅ、やっぱり明日から私がごはん作りましょうか?まぁ、私も私で簡単なものしか作れませんけど」 ともあれ、そこで一度は諦めていた気持ちがまた再燃してしまった私は、何やら使命感を覚えつつ遠慮がちに申し出る。 「まだ、そんなコト言ってるの?繰り返させないで。貴方は――」 「いえ、やっぱり居候の身で何のお手伝いもしないというのは居心地が悪いですし、それに二人分の食事を用意する程度の時間が原因で脱落するのなら、その時は私の素質(タレント)もそこまでかなって」 すると、案の定ミカエル様は不機嫌そうに眉をひそめたものの、私は意に介さないとばかりに肩を竦めてそう続けた。 こちとら、おはようからおやすみまで愛奈ちゃんを見守りつつ、学業では妹の自慢の姉でいる為に上位の成績を維持していただけに、侮ってもらっては困ります。 「……まぁいいわ。気分転換がてらにそうしたいのなら、好きになさい」 すると、頑固さを見せた私に少しの間だけ黙り込んだ後で、素っ気なく折れてくるミカエル様。 とまぁ、確かにそれも私がそうしたい理由の一つではあるのだけど……。 「えへへ、では遠慮なく。んじゃ、早速明日の朝食用に後で食材を買いに行って来ますね?……あ、ただお弁当までは手が回らなさそうですけど、夕食の残りでも詰めましょうか?」 「全く、妙に馴れ馴れしいと思えば、とんだお節介焼きみたいね?貴女は」 「……ま、おねぇちゃんでしたから、私は」 何より、自分がそうしたい一番の理由は……まぁ、何となく伝わっているみたいだった。 「いずれにせよ、貴女には活動費を渡しておくつもりだったし、新しい生活に慣れる上での無意味な行動でないのも認めましょう。……というか、課せられた義務を放棄しない約束さえ出来るのならば、私の許可など得ずとも心の赴くままに行動して構わないから」 「賜りましたー。んじゃ、表札なんかも私が勝手に追加していいんですか?」 「欲しいのなら好きにすればいいけど、私としてはなるべく長期滞在にならないのを祈っているわ……いっく」 「ま、精一杯の努力はしますけどねー……」 言われずとも、私にだってあまりモタモタしていられない理由はあるのだから。 * 「…………」 ともあれ、そうして私はまさかの熾天使様のお家に居候させてもらいつつ、翌日から天使育成学校へ中途ながら通うコトになったんだけど……。 「……は〜……」 「ん?回想に浸っていたと思えば急に溜息を吐いて、どうしただわさ?」 それから、回想を一旦小休止したところで思わず零れてしまった溜息に反応して、まだこの場に残っていたザフキエルが怪訝そうに尋ね返してくる。 「いやね、ちょっと見習い時代のコトを色々と思い出して」 「……そういえば、優奈はミカエルと一緒に暮らしていただわさな?あの無慈悲な堅物との共同生活はさぞかし息苦しかっただわさ?」 「んー、実は案外そうでもなかったんだけどね、これが……」 まぁ、大変といえば大変だったかもだけど、想像とはいささか違った意味でといいますか。 「ほほう、なにやら興味深い話だわさが、溜息の理由も含めて詳しく聞いていいだわさ?」 「はいはい、えっとね……」 すると、興味深そうに食いついてきたザフキエルに私は素っ気無く頷くと、一旦開いていた“眼”を全て閉じて、自らの記憶の断片を視覚化させる大型スクリーンを新たに出現させた。 「…………」 七大天使といえば熾天使とは何かと相容れない関係みたいだし、弱みの一つでも見つけられそうってトコロなのかもしれない、けど。 (……まぁおそらく、ザフキエルちゃんの期待には応えられられる内容でもないだろうし) ただ、天使軍で最も畏敬を集める熾天使ミカエルのプライベートな実態は、自分の記憶にだけ留めておくにはいささか勿体無いという気持ちも、確かに私の心の中にあったりして。 次のページへ 前のページへ 戻る |